第四句集『嘘のやう影のやう』
12句抄 草餅を食べるひそけさ生まれけり 薔薇園を去れと音楽鳴りわたる 針槐キリスト今も恍惚と 嘘のやう影のやうなる黒揚羽蝶 緑蔭に手持ち無沙汰となりにけり 雫する水着絞れば小鳥ほど 三角は涼しき鶴の折りはじめ 運命のやうにかしぐや空の鷹 雪吊の雪吊ごとに揺れてゐる 秋霖の最中へ水を買ひに出る 白鳥に鋼の水の流れけり 古書店の中へ枯野のつづくなり 栞 斉藤慎爾 「嘘のやう影のやう」へのオード 〈陸沈〉の佳人 岩淵喜代子さんには〈陸沈〉の人という印象がある。これまでの俳壇のパーティで数回お会いしているが、初めて会った折に受けたその印象は少しもかわらない。「パーティ」と〈陸沈〉―ー これは矛盾しているであろうか。そう反論する人もいるかもしれないが、私にとってはごく自然のことである。 〈陸沈〉について小林秀雄の還暦の感想を借りれば、「‥‥‥孔子は陸沈といふ面白い言葉を使って説いてゐる。世間に捨てられるのも、世間を捨てるのも易しい事だ。世間に迎合するのも水に自然と沈むやうなものでもつとも易しいが、一番困難で、一番積極的な生き方は、世間の真中に、つまり水無きところに沈む事だ、と考へた」(『考えるヒント』「還暦」)ということになる。むろん「パーティ」は世間の真中」ではないが、「世間」であることも事実である。孤独な世界、さしあたって、(俳人たちに背をむけた世界)を歩こうと決意した人間がいて、彼がやむなくパーティに出ざるを得ぬことも現世にはままあるのである。 新句集『嘘のやう影のやう』の「あとがき」で、岩淵さんは立冬の頃、出羽の霊山・月山に登った折の挿話を披瀝されている。掌文ながら、読む物の精神の襟を正さしむるような凛とした内容に富む。頂上を目指したのは、当時40代だった「鹿火屋」主宰の原裕を加えた男性三人と岩淵さん。「芭蕉が月山に登ったのは、僕と同じ歳だったよね」とぽつりと呟く原裕氏。原氏に比して「私はもっと若かったから、その年齢差も手伝って、当時でも偉大な貫禄のある俳人という受け止め方をしていた」と岩淵さん。そして「月山は橅類ばかりで、山を登るたびに透明度の増す黄葉が美しかった」という静寂なる一行が置かれる。 私はこの絶景に師弟道もしくは俳句道というものの比喩を見る。月山の頂上という「聖なるもの」を目指す師弟の心の深まりの距離、時間の暗示を見る。月山という此の世ならぬ幽明の世界を背景にしているだけに、この挿話は心に響く。山=師に対して自己を低める敬虔、怖れ。「神に向かっておのれを低める」ことを生涯の試練とした詩人ポール・クローデルは、アンドレ・ジイドに向っておのれがいかに低い、小さな存在であるかを知ることができる」と述べたという。クローデルのいう神を師に換喩し、私は岩淵さんと原裕氏や川崎展宏氏との絶対的な関係を羨望する。「自己を低める」ことが陸沈の所作であることはいうまでもない。 『嘘のやう影のやう』一巻にはいまや自身が人の師たる資格を十分に合わせ持つに到った岩淵喜さんの死生一如の精神が蒼白い隣光を放っている。敢えて十八句を録しておきたい。
by owl1023
| 2008-03-05 00:28
| 岩淵喜代子著書
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