ににんの仲間 句集の申し込みは「ににん」へ
2019-07-26T22:58:44+09:00
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ににんの仲間の著書 句集の申し込み問い合わせは「ににん」へ
Excite Blog
枝垂れの桜
http://owl1023.exblog.jp/30701800/
2019-07-19T23:23:00+09:00
2019-07-26T22:58:44+09:00
2019-07-19T23:23:05+09:00
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同前悠久子
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浅見 百句集『緑蔭の余白』
http://owl1023.exblog.jp/27476534/
2017-01-25T01:11:00+09:00
2017-01-30T09:02:50+09:00
2017-01-25T01:11:08+09:00
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浅見 百著書
栞
「余白」の愉快 吉田美和子 2016/04/10
「緑陰の余白」とは、なんと素敵なことばだろう。
緑陰にあるかもしれぬ余白かな 百
「緑陰」も「余白」も誰でも知っている単語だが、俳句としてこう組み合わされたときに、私たちははっとして、納得する。「余白」はまだ何も描かれていない残された部分の意だが、「白」の印象が「緑」と呼応して、空間のせいせいする色彩感、初夏の木漏れ日の中にいるような清爽感を感じさせるのだ。
おおむね読者われらの日常は、余白も無い雑駁なけだるさに埋まっているから、この緑を浴びながら「あるかもしれぬ余白」に向かう作者の眸の明るさに、少女のような無垢を感じて打たれるのである。兎のあとを追いかける不思議の国のアリスのような眼差しに。
もちろん、余白とは残余であり余生であり、まだ生きられるかもしれない最後の場所――であるから、少女の句ではない。しかしことばが作者の感性を通してこのように若やぎ生き直すこと、それが俳句の真髄であり文学の意味であるに、ちがいないのである。一瞬の、すなわち永遠のいのちを得ること。こんな句を生み出しえてしあわせだ、百さん。
さて、読者諸氏はどの句を推挙されるのだろう。
あたたかや神も仏も同じ森
春の雪眼鏡を空へ忘れたか
麦秋や畑の微熱も刈り取られ
布草履洗つて干して裸足なり
などなど、柔らかで斬新な、好きな浅見俳句はいっぱいあるが、一巻を閉じたときに私の中に思いがけなく夕陽のイメージが残響した。
大西日まつすぐ届く我家かな
これである。私は何度か浅見邸にお邪魔したことがある。あのリビングからキッチンへと続く広い空間に、大西日が満ち満ちたのだな、と想像する。そのとき、夕陽を浴びて野菜たちが踊り出すのである。
夏野菜すべて天地の懐に
急がねば真つ赤なトマト破裂する
星影の小道に揺るるゴーヤかな
大西瓜転がる大地も球形で
浅見邸の野菜は素晴らしい。玄関の前が畑で、夫君の研究になるという優秀な土質に支えられて、新鮮な野菜たちが本当に美味しいのだ。早く食べてとトマトが叫んでいる。丸い地球の上の丸い西瓜がとぼけて可愛い。ここで不思議の国のアリスはエプロンをした魔女のように、魔法の杖を振っている。みんなキラキラに変身だ。そしてこの句である。
梅漬けて形見のやうに配りけり
ああ、これ、私もやってます。自慢せずにはいられない形見分けです。
「余白」はしなやかな愉快に満ちている。
「緑陰の余白」散策
川村研治
本当は行方不明の雲雀かな
雲雀は不思議な鳥である。どこまでも空高く上っていったかと思うと、急に降りてきては、さっと身を隠してしまう。本当は声だけを虚空に残したまま、行方不明になっているかもしれないのだ。
花満ちて逢ひたき人とゐるやうな
桜の花の咲きだす頃は、一年前から待ちに待っていた人と逢うような心地であろうと思う。そして、花の咲き満ちている間は、その人と一緒にゐられるという嬉しさに浸っている時なのだ。
桜の実湖狭くなるところ
桜の花の頃は湖の岸辺に咲き盛って、水面に花影を映していたであろう。特に湖の狭くなっているところでは、両方の岸辺の桜がみごとな景をみせてくれていたであろう。今ではすっかり緑濃きころとなり、桜の実がびっしりとついている、静かな趣のなかで、花の頃を思い返しているのであろう。
水澄めば古い薬を捨てにけり
常時薬を服用していると、きちんと飲んでいるように思っていても、だんだん溜まってしまうものである。古くなってもまだ大丈夫とは思っても、時には思い切って古いものを処理せねばと思っている。水澄むころの気分爽快な時になると、そうした決断もしやすいのであろう。
地虫鳴く熊楠本を読み始む
南方熊楠は民俗学者、博物学者、大英博物館東洋調査部員、粘菌の研究で知られる。諸外国語・民俗学・考古学に精通し、著書多数ということで、魅力的な人物である。秋も深まり、地虫の鳴くような夜、熊楠の著書をひもといている作者の好奇心旺盛な性格がみてとれる。
逆さまに長靴干すや雪の晴
雪晴れの真っ青な空の下、一面の雪景色のなかで、黒い長靴の干されている何の変哲もない景色だが、印象鮮明、気持ちのよいある日が言いとめられた。
古屏風くちなはゐたるやうな染み
屏風も古くなると、理由は分からないがあちこちに染みができている。それを「くちなはゐたるやうな染み」と感じとったところが、独特。普通はただ汚れてしまったなあ、と思うだけであるが、この感覚から作者の性格の特徴がみえてくるかもしれない。
手袋の中の指輪を廻しをり
誰かと話をしているうち、無意識に手袋の中の指輪を廻している自分自身に気がついてびっくりしているのだ。勿論、話し相手に気づかれぬようにではあるが、人と話をしている間に、そんなことを考えていることに自分自身を不思議に思っている。
面白いと思った句をいくつか拾い出して、感想を述べてみたが、これらのことからも作者の興味の範囲が広く行き渡っていることがわかる。今後も、日常の景のなかや旅行の作品など、広い視野からの発想を展開されることを楽しみとしたい。
栞 充実した心境
上田信治
浅見百さんは、北大路翼さんの紹介で、句会に現れた。句会というのは「仮名句会」といって、いろいろな人が「仮名」で集まって句を出し合うという句会です(いやみなさんはいつもの名前でやっているのだけれど)。何を気に入ってくださったのか。以来、百さんはときどき来られるようになった。百さんはまじめに勉強されてきた方なので、ウチのような先生のいない句会は息抜きになるのだろう。
句稿をあらためて読ませてもらって、きっと多くの読者を得るだろうという句と、作者が気ままに詠んで少数の読者とよろこび合うのだろうという句の、両方があると思った。どちらも百さんの本領だろうし、自分にはそれが魅力的だった。
鳥雲に墨汁乾くすずり箱
五分刈の耳まで日焼運動部
蝉しぐれ夕餉のフライ揚がつても
水澄めば古い薬を捨てにけり
手堅くて、よくできていて、でも簡単ではない句ばかり。こういう句は多くの人の支持を得るだろう。
「すずり箱」の句。手紙か習字か分からない、書かれていたものはもうなくて、墨汁が乾いている長い午後。「鳥雲に」が、残心のようなものを伝えてよく効いている。
「五分刈」の句で、きれいな五分刈りだなあ、おや、耳まできれいに日焼けして、と思わず見とれていたり、「蝉しぐれ」の句で、フライを揚げ終えてもまだ明るい夕方なのだなあ、と思っていたりする。ふとした時間の空隙。
ずいぶん静かな落ち着いた心持ちで生きていなければ、こういうことには目が届かないだろう。百さんは、この句集の上梓に至るまで、だいぶ体調がすぐれない時期があったと聞いたけれど、きっと充実した心境で日々を過ごされたことと思う。
そして「水澄めば」の句。溜まってしまった薬を整理するだけの元気は出たのだ。百さんに、よかったですねと言えば、病気ばっかりで大変でしたよ、と笑われるだろうけれど。
緑蔭にあるかもしれぬ余白かな
本当は行方不明の雲雀かな
嬉しさは花野を胸に抱くやうな
満ちたりて花野の果にゐるやうな
これらの句の大胆な詠いぶりには、思ったことをそのまま言ってしまう人の、天衣無縫の魅力がある。
「緑蔭に」の句の「余白」とは、心にサンクチュアリのある人が、外界にそれを見ようとする幻想だろうし、「雲雀」の句の「行方不明」とは、自由になってしまおうとする心が、
空気抵抗のように感じる不安のことだろう。そして「花野」の句の、満ち足りたさびしさの華やぎ、そして、そう詠ってしまえる明るさ可愛さに、自分は強く共感した。
潮干狩海水すこしあるところ
ここからは、自分の偏愛の句をいくつかあげたい。
「海水すこしあるところ」って可笑しくないですか。そりゃ海なんで、海水にちがいないけれど、これは遠くまで潮の引いた千潟に、たまたまできた水たまりのことだ。海はだいぶ遠くにあるので、その水は、海の一部という感じもしない。人間のいる平べったい空間に、何となくただある水。海水。
梅雨の月やっと固まるプリンかな
どうでもいいことを素材に、秀逸な取り合わせでまとめた句。月もプリンと同じように薄い黄色でたよりなくて、と読んでもいいけれど、ビジュアルの相似と見切らずに、プリンがゆるいそんな夜、と雰囲気で読んだほうが、自分にとっては魅力がある。
桜の夜遠くの駅へ送らるる
大木の倒れてからの天の川
秋日より笑顔の友の集いけり
これらの句の少しの謎。「遠くの駅へ送られる」のは、本当に自分なのか。「倒れてからの」とは、天の川と競べられるほどの言なのか。「秋日より」集まってきた友だちは、どこから来たのか。
春の雪眼鏡を空へ忘れたか
雪空を見上げていると、自分が空へ落ちていくような気持ちになる感覚は「降る雪を仰げば昇天するごとし」(夏石番矢)に詠われた通りだけれど、その吸い込まれる先方である空に、この人は「眼鏡」を忘れた気がすると言う。ふつう、忘れものは過去に置いてくるものなのに、百さんは、昇天する先の未来に忘れものがある気がすると言うのだ。ああ、不思議、不思議。その雪も、春なのですぐに終いになってしまいそうだし。
いやいや、もっと、ずっと、俳句で遊んでくださらなきゃイヤですよ、百さん。
(Ueda Shinji 俳人)
序に代えて 岩淵喜代子
ときに俳句はどうあるべきなのか、あるいは俳句とはどういう形なのだろうかと立ち止まることがある。浅見さんから句集名を『緑蔭の余白』にすると聞いたとき、俳句は余白そのものではないかと思った。なぜなら、俳句の大方は差し出された十七文字から派生した世界こそが中身なのである。
浅見さんも何度も俳句に立ち止まり、俳句表現へのもどかしさを感じながら、作句を続けてきたのではないだろうか。そういう拘りを持つ作家なのである。
――心のどこかにいつも大自然の人々の営みを感じていられる句を詠みたいのです。私にとって「緑蔭」は俳句を詠む源のように思われてきたからです。――
これは、浅見さんがあとがきで句集名を決めた理由について述べている言葉である。緑蔭という季語は、浅見さんにとってのよりどころの象徴となっている。
そのことを最近の「ににん」の句会の場でさらに実感することになった。
「ににん」句会は毎回鍛錬会のようなもので、通常の句会のあとに、席題句会が二度ほど行われる。朝から一日借りた会場を五時までぎりぎり使用している。
緑蔭の余韻のやうな水たまり
永い闘病生活にもようやく終止符を打つことの出来た浅見さんが、久しぶりに句会に顔を見せてくれた。
掲出句は、その浅見さんが(余韻)の席題を得て成した一句である。この句は、その日の句会の最高得点を得ている。
緑蔭を出て欄外をゆく心地 第一句集
緑蔭や隙間だらけの日を送り 第二句集
緑蔭にあるかもしれぬ余白かな 第三句集
緑蔭の余韻のやうな水たまり 第三句集編纂
こうして並べてみるときに、最後の(緑蔭の余韻のやうな水たまり)の句が作品として格段の昇華を見せているのが解る。これは単なる偶然ではなく、これまでの緑蔭に込める浅見さんの季語への想いが累積された結果だと思う。言い換えれば、季語は浅見さんの思想そのものになっているのである。
如月の鳥居大きく見えにけり 裏通り
絶間なく無縁仏に春の雪
ペンぺン草影も日向も白き花
一句目、緑蔭が浅見さんの思想であるように、如月もまた季節の推移によせる心が選んだ季語である。そうして、見慣れている鳥居が大きく見えてくるのである。二句目、春の雪はどこにでも降るのだが、作者が(無縁仏に)という提示をしたときから、特別な物語りがはじまる。三句目のペンペン草とは薺の花。あまりに細かな花なので、花として詠むひともあまりいない。そのことを、(よくみれば薺花咲く垣根かな 芭蕉)の句によっても納得する。浅見さんは、その小さな花を(影も日向も)によって際立たせている。
句集『緑陰の余白』には、こうした雑草として一括りしてしまいそうな草花がよく登場する。大方の俳人は歳時記によって鳥の声を知り、花の名前を知り、雑草の名前を覚えるのだが、浅見さんは日常生活の中で草木禽獣をよく見知っているのである。
しばらくはたんぽぽの絮でゐるつもり 裏通り
本当は行方不明の雲雀かな
同じ章にこんな不思議な句がある。
一句目は誰でも容易に理解できるだろう。たんぽぽの絮毛の浮遊を目で追いながら、その絮毛の先々へ思いを走らせているのだ。そんな穏やかな日和だったのだろう。童心の中でひとり遊びをしているようだ。
だが二句目は不可解な句である。初語の(本当は)からまず躓いてしまいそうであるが、魅力のある句である。中天で鳴いているその雲雀が迷い児だというならすぐわかる。しかし、ここでは目前にありながら行方不明と言っているのである。
そんな詮索をしているうちに、中空で鳴く雲雀の声には必死さが感じられてくる。雲雀の声を歓喜のそれと聞くか、必死な声ときくかで物語りが反転する。作者は後者と捉えて、どこかにいる親鳥を想っているのだろうか。
前句の(しばらくは)の句と同様に、読み手はいつの間にか、浅見さんの描いた絵の中に引きずり込まれてしまうのだ。
蟻だけの行進曲があるやうな 重石のやうに
前句の続きとして、不思議な句を次の章からも抽出してみる。真夏の蟻の行列にはよく出合う。どこへいくのか切りもなく延々と続く途方もつかない大集団、しかも速歩も揃った行進と言える。
眺めていると、目前の音もない大集団の移動は、見えていながら次元の違う影像にも思えてくる。浅見さんはそれを、蟻の身丈にまでなって、その行進曲を聴こうとしているのである。
純白の燃えだしさうな花水木 重石のやうに
ぼうたんの明日にむかつて崩れけり
芍薬の雨に打たれてすきとほる
一句目の感覚的な詠み方。白が燃えだしそうというのは、いままでなかったかもしれない。この(燃えだしさう)の措辞によって、晴天の中の白の眩さが描きだされている。
二句目、牡丹はその豪華さゆえに咲くときも散るときも絵になるが、ことばで表現するのは難しい。子規は(白牡丹ある夜の月に崩れけり)と美意識で引き出している。
浅見さんは(明日にむかつて)により、牡丹の崩れ方を心情で受け止めているのだ。なぜ昨日ではなく明日なのかは、ほんとうのところは解らない。だが昨日よりは明日ということばのほうが、牡丹の散る激しさが現れると思うのである。
三句目、雨の中の芍薬の発見は本来的な写生で、浅見さんの俳句作りの基本はここに置かれている。
そうして、この句を据えてみると、浅見さんの表現の振幅度の大きさが伺える。これは単調な句集にならないための条件でもある。
梅漬けて形見のやうに配りけり 重石のやうに
花茣蓙へ重石のやうに座りけり
闘病の日常があってもなくても、年齢を積み重ねていけば日々のすべてが形見のようなものになる。
一句目の(梅漬けて)には、作者の生活する月日が浮上する。多分毎年梅を浸けては、親戚知人に配っているのだろう。そうした年月も、老いを感じる年齢に至れば、誰れもこれが最後の梅になるかも知れないという想いを巡らせることになる。
この「序にかえて」の冒頭で、俳句は余白そのものではないかと書いたが、まさに(梅漬けて)を語ることは、この句から浮上する作者の年月を語ることなのである。
二句目、一読しながら思わず口元が緩んできた。風の吹く日だったのだろう。花茣蓙の上に乗せた体を重石と例えるのは自嘲のようでもある。浅見さんにとっては極めて合理的な方法を用いたにすぎないのだが、なんだか可笑しみが湧き、前句の(梅漬けて)とともに浅見さんのもっと浅見さんらしい句ではないかと思っている。
大根の泣きたいやうな白さかな 指輪を廻し
水澄めば古い薬を捨てにけり 一緒くた
一句目、前の章に(純白の燃えだしさうな花水木)があるが、大根の白さは(泣きたいやうな白さ)になるのである。そうして、大根に繋がる月日を振り返っているのである。
二句目は一瞬意表をつく取り合わせのように思えるのだが、(水澄む)の本意に適っている。意表をついた表現と思うのは、取り合わせが新しいからである。浅見さんの俳句を作る現場はあくまで生活の場である。慢性疾患を抱えながらの日々の中で得た句である。そのことを想像すれば、薬の嵩も多かっただろう。
こうして句集を繰っていくと、大方の句が一句一章で詠まれている。その一気呵成な勢いが、読み手の心への浸透力になっている。それは対象に向かうときのゆるがない姿勢と惰性に陥らない俳句環境があったのではないかと想像している。
句集『緑蔭の余白』は、生身の浅見百さんの生きている立ち位置を、きちんと見せている作品の集積である。
二〇一六年七月七日]]>
山内美代子著『藤が丘から』墨彩画と俳句
http://owl1023.exblog.jp/25014445/
2016-03-04T14:14:14+09:00
2016-03-04T14:13:58+09:00
2016-03-04T14:13:58+09:00
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山内美代子著書
ワンタッチ日傘開きぬ山の駅
躊躇いもなく素早く開くワンタッチ傘は、布の張りつめる音も、ことさら山の駅では響いただろう。ただそれだけの風景であるが、これからドラマが始まりそうな印象的なシーンである。
私には、冒頭の句は山内美代子さんそのものに思えるのである。彼女はまるで屈折など持たないかのごとく真正面から物事を見詰め、人に向き合う質なのである。その率直さに好感を持つのは、私ひとりではないだろう。
初花の混み合ふところうすみどり
もちろん、ワンタッチ日傘とは違う深遠な句も作れる作家である。当時、所属していた「貂」の指導者川崎展宏氏は、良い作品が出来ると自分が作ったかのように喜び騒ぐのだった。この句のときも、投稿されてきた句に興奮していた。自分の鑑賞を作者である山内さんに確かめ、さらにわたしにも電話してきたのである。
山内美代子さんと私は「鹿火屋」に入会したのが同時期で、原裕先生を囲む吟行の旅も一緒だった。その後、『菜の花は移植できるか』の著書も持つ佐藤和夫氏から「貂」への入会を促されたときも、二人で参加した。そうして、ほぼ四十年ほどの月日を過ごしてきた。
昭和四年生れの彼女は今年八五歳。一度はいまさら本など作っても、と思ったこともあったようだ。私もそれもそうだな、とあえて勧めることもしなかった。ところが五月に鳩居堂で墨彩画の展覧会を開催することを思い立った途端に、本も作りたくなったようだ。行動を起こすと、細胞が活気づいて志向も行動的になるのだろう。その活気が山内美代子さんの魂と繋がって、この一冊に纏まった。
岩淵喜代子
平成二七年七月七日
『藤が丘』抄より
ふらここや空の亀裂に足の入る
水の揺れ日の揺れ風の金魚売
羽抜鶏はるかな海へ首伸ばす
根元からたわみて風の萩の花
木も草も石も影もつ初日かな
葉牡丹の渦盛りあがる日差かな
陽炎や道いつぱいに電車くる
追伸の文字は小さく夕時雨
鯉幟丸めて胸に一抱へ
毛糸帽小脇にはさみ礼拝す
濃墨を垂らし込み秋立にけり
貧相となりぬ真昼の雪達磨
あくぬきの水を替へては春惜しむ
草ぐさの影を濃くする蛍の火
折り合ひをつけて暮らして合歓の花
深吉野の露や手を置く丸木橋
万緑の中や音無き音満ちて
はにかんでゐるや酸漿揉みながら
夕桜筆ふつくらと乾きたる
花すすき入江とろりと夕茜
トンネルのやうな路地抜け初夏の海
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浜田はるみ句集「韻く」
http://owl1023.exblog.jp/24829895/
2016-01-03T20:38:00+09:00
2016-01-05T08:23:19+09:00
2016-01-03T20:37:54+09:00
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浜田はるみ著書
序 思惟の眼差し
平成二〇年に出版された「『鑑賞 女性俳句の世界(角川学芸出版)』 の二巻目で、原コウ子の生涯の作品鑑賞を担当したことがある。その鑑賞のタイトルを「知性派の女歌」とした。生涯の作品を読み通すと、自ずとそうした主題が浮かび上がったのである。
ちなみに、その第六巻目に私自身の作品が鑑賞されているのだが、そのタイトルは「醸し出す香り」であった。多分、私が「知性派の女歌」というタイトルを導き出したように、私の作品群から「醸し出す香り」を引きだしてくれたのではないかと想像している。
前置きが長くなったが、浜田はるみさんの作品を読み終えたときに、「思惟の眼差し」ということばが浮かび上がった。その作品を追っていくと、作者の思惟の眼差しを感じさせてくれる句によく立ち止まったからである。
はるみさんの俳句歴を見ると、平成十五年に小澤克己主宰の「遠嶺」に入会して数年のうちに「遠嶺」新人賞を経て編集同人になっている。
行く春や障子のかげの忘れ物 平成十五年~十七年
またあした水平線の大夕焼
牡丹の手に余りたるひかりかな
小春日の見知らぬ猫と同席す
初期のこれらの作品は、その履歴を納得する歯切れのいい作品である。一句目の情景描写の巧みさ、二句目の夕焼の筆太な把握、三句目の視覚的な感覚、四句目の物語性、いずれも小澤氏の提唱していた情景主義と合致する。初期のこれらの作品は、忠実に師に学んだというよりも、本来の資質が発揮されたのだと思う。
白もくれん水迸るとき匂ふ 平成十七年~二十年
いつせいに光ゆれ初む紋白蝶
芝の上の自己紹介や若葉風
姿見に先づ水仙の映りけり
雪催卓布に皺の寄つてをり
感覚的な作り手ではあるが、誠実に対象に向き合っている。そうでなければ、白もくれんの匂いも、紋白蝶の光も見えないだろう。三句目の自己紹介の句も、四句目の鏡の中の水仙も新鮮な切り取り方である。五句目の雪催の卓布に皺が寄っている光景。日常のかすかなアンニュイが上質な絵画として提示されている。このあたりにも、作者の思惟の視線を感じるのである。
教室にかすかな浮力卒業子 平成十七年~二十年
かんかんと秋を鳴らして電車過ぐ
たどりつく答のやうに竜の玉
同時期のなかで、これらは浜田さんならではの感覚的な詠み方である。一句目の(教室にかすかな浮力)を小澤克己氏はどのような評価したのだろうか。卒業子と言っても絵画にすればいつもと同じように学生服を着た生徒が席を満たしているだけである。だがまもなく巣立つ生徒だと思えば、いつもとは違う緊張感が生まれる。それを浮力という言葉に託している。
二句目の(かんかん)は踏切の音かもしれない。だが、(秋を鳴らして)によって、秋があたかも物体であるかのような存在感を出している。
三句目、竜の玉とは(竜の髯の実)と言えばわかり易い。髯のような細い葉の根元に瑠璃色の玉を付ける。その印象を(たどりつく答のやう)とするのは、はるみさんらしい。これこそ、思惟の人の答えなのではないかと思う。
冬銀河子の背にうすき翼見ゆ 平成二十年~二十二に年
銀河のもとに翼の生えた子のおさまるシュールレアリズムな映像である。ことに冬銀河の季語が美しい上にも美しい世界を描き出している。ともすれば虚構の世界かと思われてしまうが、下五にある(見ゆ)によって作者と繋がるのである。さらにこの句が、前書「長女雪国へ赴任四句」の中の一句であることを知ると(見ゆ)が俄に奥深くなる。
子と言っても社会人になった長女の後姿を眺めているのが解る。自ずとそれまでの月日を遡りながら、子の成長したことを実感しているうちに、その背中に翼が見えはじめた。思惟が導き出した感覚を形に置き換えたのである。
蟬しぐれ八時十五分の佇立 平成二十年~二十二年
人形の微かなほてり春の雪
つくしんぼ河原の声のよく揃ふ
切り取り方の潔さは初期からのもの。一句目の広島忌と言わないで、それを提示させているのは、俳句という器を心得た切り取り方、二句目の独特の感受性、そうして三句目の対象に向かう時の誠実な姿勢、これらがはるみさんの俳句造りの要になっている。
「遠嶺」に拠ることは、浜田はるみさんにとっての小澤克己という名伯楽との出会いであったと思う。しかし、惜しくも小澤氏は平成二十二年に急逝している。
日向ぼこ神がとなりに来て座る 平成二十二年~二十六年
日向ぼこというきわめて卑近な位置に神を引き寄せている。先人たちにも(日に酔ひて死にたる如し日向ぼこ 高浜虚子)(日向ぼこ神の集ひも日向ならむ 大野林火)などがある。遥かなものを引き寄せるのは俳句造りの王道に添っているのであるが、それでも先人の句はどちらも想念に留まっている。
浜田さんの句がこれらを越えるのは表現の潔さである。この輪郭の鮮明さは、はるみさんの師である小澤克己氏の薫陶が生きていると思っている。情景主義を掲げた小澤氏にとっても、自身の作句理論を理解してくれる弟子の一人としてはるみさんを注目していたに違いない。
風鈴を水平線に吊るしけり 平成二十二年~二十六年
風鈴の句もまた小気味よい把握である。水平線に吊るされるなどという措辞は、鑑賞すれば理屈を重ねることになる。虚でありながら納得してしまうのは、読み手の中の憧れがさせるのではないかと思う。ここにも、風鈴を吊って、水平線のことばに行き着くまでの思惟の時間を感じる。
家計簿をひらく銀河の片隅で 平成二十二年~二十六年
家計簿という極めて現実的なもの、それが銀河と結びついたところに作者の見識を伺い知ることが出来るのである。
連句は往きて帰る心なしを標榜しているが、発句は行きて帰る心こそが重要なのである。家計簿を付けながら、星座を思い出したのかもしれない。あるいは窓から星空が見えていたのかもしれない。そのようにして、誰でも家計簿と銀河を結びつけるまでは詠めるだろう。だが、(片隅で)の措辞にゆきつくのが出来そうで出来ないものである。この一語があることで、家計簿の細かな数字に戻れて、単なる詩の一行ではなくなるのである。
さらに言えば、この句は、小澤克己氏の宇宙感覚で詠まれた「嬰生まるはるか銀河の端蹴つて」に繋がる情景主義の作品である。
はるみさんが師の没後に「ににん」の句会を選んでくれたことは、「ににん」の仲間にとっても幸運なことである。
紙面が尽きたので、以下にににんの仲間とともの詠んだ作品を抽出しておく。
口笛を運ぶ潮風黄水仙 平成二十二年~二十六年
門火焚き村に人影増やしをり
蓮見舟水の昏さを垣間見て
花カンナ窓辺に開く黙示録
コスモスの真白遮断機あがりけり
何も恐れず数珠玉の指輪して
しくしくと声するあたり月夜茸
初彌撒に村の赤子の勢揃ひ
大寒や枕に耳の置きどころ
留守番の代り盥の大西瓜
葉書出しそびれてへちまぶら下がる
掛け声は端から端へ稲を刈る
雪吊のけふ月光を吊りにけり
石畳さざなみめいて淑気かな
一身に海を集めて海女潜く
それからは百日草の真昼かな
立冬に
岩淵喜代子
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『二冊の鹿火屋 ―― 原石鼎の憧憬』 岩淵喜代子
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2014-10-29T01:13:00+09:00
2015-09-21T14:00:53+09:00
2014-10-29T01:13:48+09:00
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岩淵喜代子著書
昭和八年から連載されていた「石鼎窟夜話」には、石鼎を養った出雲神話の根源のようなものが展開されている。そうして、石鼎のためにだけ発刊された「鹿火屋」を読むと、「石鼎窟夜話」から辿りつこうとしていた石鼎の憧憬の世界が垣間見えるのである。
昭和六年に「頂上や殊に野菊の吹かれ居り」の句を詠んだ地が霊畤であったことは、石鼎の中に無意識に内在していた記紀の世界ををあぶり出した。それが「ありし日の深吉野を偲ぶ」四十七句となるのである。また、昭和十六年の二宮での住所にあった「吾妻」という地名が、さらに神話の国へ誘うのであった。
そのために鹿火屋会は、一般配布の「鹿火屋」と神話の国へ遊びに行ってしまった石鼎のための雑誌を作らなくてはならなかったのである。
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牧野洋子第一句集 2014年8月 文学の森
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2014-08-31T11:13:00+09:00
2014-08-31T11:13:27+09:00
2014-08-31T11:13:27+09:00
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牧野洋子著書
序に代えて 牧野洋子さんが俳句を始めたのは群馬県前橋市の大型書店煥乎堂で行われていた俳句教室である。
この教室は現在の書店社長の母堂小林はるなさんがご自分の俳句の勉強のために設立したものである。名前も、そのときに付けた俳号である。わたしがその教室へ指導に通った年月が、牧野さんの俳句歴の年月でもある。二〇年くらいになるのだろうか。書店の六階の会議室を半日占領して行われる句会は、殆ど初期からの顔ぶれのまま現在も続いている。
初夏やあいさつする子としない子と
セーターの色を重ねて出勤す
まんさくの花びら動く日曜日
俳句教室が開設された当時の牧野さんは、まだ教職に就いていたが、作品にはそのことがごく自然に反映されていた。この淡々と日常を受け止められるということも、牧野さんの鷹揚な人柄なのである。通勤途中の子供たちへの視点もいかにも教師らしい切り込み方だが、初夏という季語によって透明な空気が呼びこまれた。
そうして、出勤への華やぎがセーターの色を重ねることになり、日曜日は見えないものが見えるようになる。(花びらが動く)という措辞以上にまんさくの花びらを特長つける表現があるだろうか。
内緒話し皆聞こえさう月の道
月の道とは月夜の道というよりは月に照らし出された道というほうがより作品に近寄れる。一句は、その道があまりに静かだという物理的なことを述べているのではない。感覚的な透明感を伝えることばとして(内緒話し皆聞こえさう)があるのである。繊細な感覚で詠み上げたこの句は、初期の淡々と日常を甘受してゆく句風に、もう一つの感覚の冴えが加わってきた。俳句を始めて五年ほど経た時期の収穫である。
ところで、牧野さんが俳句を作ってみようと思ったのは、冒頭で述べた小林はるなさんからの誘いである。若い頃の牧野さんは、はるなさんの小さなお嬢さんたちのピアノの家庭教師をしていたことがあるのだ。
その小林はるさんが俳句に関わるきっかけは、角川春樹氏や金子兜太氏なのである。書店へあるいは自宅を訪れた両人から「奥さん俳句をしなさいよ」と一度ならず声をかけられていたという。
私は、はるなさんが「俳句を始めたいから教えて」と電話をしてきたとき少し吃驚したものだ。俳句への縁も思いがけないところで繋がっていくものである。
秋真昼蝶の横貌見たやうな
東大寺大仏殿の盧舎那仏像の脇に銅製の蝶が留まっている。飛び立てば白鳥ほどの大きさになる。二枚の閉じた羽の上に見えるのはまさに蝶の横貌である。
句集名になったこの一句にも横顔が現れる。顔と横顔はわずかな視覚のずれにもかかわらず陰陽の差となるから面白い。もちろん顔は陽で横顔は陰なのだが、人はなぜかその陰の横顔に惹かれるのである。蝶の横貌を見たような見なかったようなと反芻するときに、秋真昼が俄に不思議な時空となる。
蝶の句ができた平成十九年あたりは、牧野さんがそれまでの教職を退くころ、あるいは退いたころであろう。俳句が俄に奥深くなった。
蛤になれぬ雀やかたまりて
急ぎ来て呼吸海月に合はせをり
秋暑し麒麟の眉間探さねば
一句目は、秋の季語(雀蛤となる)から想を得たもの。一群れの雀たちへ(蛤になれぬ雀や)と呼びかけているのである。そのことで、小さな雀と等身大になるのも、牧野さんの俳句への切り込み方である。視覚で捉えた雀の群れを想念に遊ばせ、蛤の貝殻模様と雀の羽の模様をふたたびオーバーラップさせて鮮やかになる。
二句目、待ち合わせに遅れた焦りからだろうか、少し高ぶる呼吸を海面の海月の動きへ重ねている。まるで、自分の呼吸が勝手に海月に合わそうとしているような錯覚になる。そのことで、海月のひらひらと動き回る様子がより存在感を持つ。ここにも、対象物と等身大になっている牧野さんが現れる。
三句目は不思議な句である。言われれば何にでも眉間というところがあるには違いなのだが、あえて動物の眉間などと考えたことがない。眉間と意識するとき、作者は麒麟の顔というより麒麟そのものを思いやっていたのである。見えているようで見えないものへ目を凝らしている作者が浮かび上がる。
俳句とは、と問うとき誰もが思わぬ暗闇に紛れ込んでしまうのではないだろうか。それは詩とは、小説とは、と問う時にも同じである。だが、たった十七文字しかない俳句なら、少しは答らしきものに行き着けるのではないかと思えるのだが、やはり答えが見つからない。俳句にかかわり続けるということは、俳句とはと問い続けることなのだと観念するしかないのだ。
きのふから人間ドック雪解川
人間ドックなどあまり詠む人はいない。詠んでも大方は日常雑記にとどめてしまうのは、そんな素材で秀句は生まれないと決めているからである。それでは新しくならない。(きのうから人間ドック)と(雪解川)の二物衝撃によって噴き出た息吹のようなものがこの一句にはある。
まだ語りたい句はたくさんあるが、その一部を揚げて終わりにさせてもらう。
近寄れば少し淋しい冬桜
石垣に葦焼きの火の躓きぬ
雪の午後読み継ぐ本を読み尽くし
まんさくや隣の家の祝い事
綿虫の貌は三角四角とも
ひとところ水の湧き出る枯野かな
冬蕨かごめかごめの輪の中に
花は葉に東京の真中にゐる
一羽きて二羽きて三羽木の芽風
雁渡る砂漠の砂は瓶の中 仏生会の日に 岩淵喜代子
帯の12句選内緒話し皆聞こえさう月の道
セーターの色を重ねて出勤す
まんさくの花びら動く日曜日
秋真昼蝶の横貌見たやうな
蛤になれぬ雀やかたまりて
急ぎ来て呼吸海月に合わせをり
秋暑し麒麟の眉間探さねば
雪の午後読み継ぐ本を読み尽くし
きのふから人間ドック雪解川
冬蕨かごめかごめの輪の中に
ひとところ水の湧き出る枯野かな
雁渡る砂漠の砂は瓶の中
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宮本郁江第一句集『馬の表札』
http://owl1023.exblog.jp/22499479/
2014-07-09T07:34:00+09:00
2014-07-09T11:15:23+09:00
2014-07-09T07:35:06+09:00
owl1023
宮本郁江著書
序にかえて
宮本さんの俳句の入り口は、群馬県前橋市にある煥乎堂書店、その六階の会議室で行われている句会である。
この煥乎堂句会に集まってきている人たちは、現在の煥乎堂書店社長の母堂である小林はるなさんの縁に繋がる人たちである。宮本さんはその句会の開設初期からの参加者で、二十年近くになるのだろうか。
そんな宮本さんでも、俳句が分からないといまだに首を傾げるのである。誰でも、何年関わっても、俳句って何なのだろうと立ち止まるときがある。それは人生とは、と立ち止まるのに似ている。どちらも答えが出そうで出ない問い掛けなのである。
花曇り隣の席に老夫婦
となりの席とは、たまたま乗り合わした電車の席だったか、あるいは、宴席の隣の席だったのかもしれない。どちらにしても、ふと老夫婦に意識を寄せたのだ。それは人生とは、と問いかけて立ち止まったときと同じなのではないだろうか。
意識を寄せたのが老人であるなら、自分の行方を見るような思いだったかもしれない。あるいはもういない父母と重ねているのかもしれない。その作者の心の漂いは万人に通じる普遍性となって共感を得るだろう。
そうして、その視線こそが人生そのものを見詰めていることになるのだ。だから、宮本郁江さんの俳句にはいつも宮本さんが立ち現れる。
城山へ柘榴の花の下を過ぐ
水汲めば袖口濡れる秋桜
水仙や鏡の中のひとりごと
一句目の城山へ行く道すがら目をとめた柘榴の花。ただそれだけの事なのに、城山という茫々とした山を背景にして柘榴の花の輪郭が鮮やかになる。俳句とは、そうやって視点を提示するものなのである。その柘榴の花に留まることが、生きるということを問いかけていることなのである。
昨今は事柄俳句が氾濫している。鑑賞者もまたそうした事柄俳句のほうが鑑賞しやすく取り上げ易い。しかし、宮本さんの句は、そうした作品とは一線を画している。あくまで対象を見捉えるようとしているのだ。それこそが、生きるということで、俳句がひとつずつ人生の句読点になる。
二句目は一読して、華やぎのようでもあり諦観のようでもある。
視覚のなかの華やぎ、感覚のなかの諦念、そうした二重層性は作品の奥行となって読み手の胸に揺曳されてゆく。
三句目の現実の水仙と鏡の中の水仙、それは虚実の表裏となる。その傍らの作者のひとりごとこそが、まさに問いかけなのである。俳句とは、あるいは人生とは、と問いかけても誰も明確な答えを出せない。それらの問は常に傍らに置いて俳句は作られてゆくべきなのだ。
うららかやセールスマンは沖をみて
不思議な句である。たとえばこれがサンドイッチマンなら直ぐ映像が浮かび上がる。だがセールスマンに際立つ服装があるわけではない。だとしたら作者の文学的な感性がセールスマンと断定したのではないかと思う。私が思い浮かべるのは吉行淳之介の『砂の上の植物群』の冒頭のシーンだ。
港の傍に、水に沿って細長い形に広がっている公園がある。その公園の鉄製ベンチに腰をおろして、海を眺めている男があった。ベンチの横の地面に矩形のトランクが置いてある。藍色に塗られてあるが金属製で、いかにも堅固に見えた。
(うららか)という季語に反する沖を見てゐるセールスマンの寂然とした映像、ここにも宮本さんの作品化するときの重層性が現れる。
馬小屋に馬の表札神無月
句集のタイトルになった作品。言われてみれば馬小屋にはその馬に与えられた名前がついていただろう。句は、そのことに視点を寄せている作者そのものとなる。
馬小屋に馬の表札があったという一事、ただそれだけで一句の世界は無限に広がってゆくのである。表札には生年月日や生まれた土地まで書き記されていただろう。それによって読み手もまた馬の命の経歴へ思いを馳せる入口に立たされる。
うららかや立ちて眠れる岬馬
馬の眼に我映りゐし立夏かな
新緑や縞馬の目も縞の中
馬の背に鞍の重たき木下闇
青空へ馬の嘶く枯野径
馬の目に涙のあとや下萌ゆる
二三人来て炎天の馬場均す
夏木立神馬は眠りゐるらしき
句集には馬の句が多いが、乗馬をしているご主人と一緒に馬場に足を運んだ影響のようだ。句集に纏められてみると、偶発的な対象物に過ぎないと思われがちなものが実はそうではなかったことに気が付くのである。ここにも、俳句が人生と一枚になっていることが浮上してくる。
いつせいに七夕竹の揺れし街
この一句はさり気なく詠まれているが、街の七夕竹がいっせいに揺れたと言っているのではない。それだけなら単なる実の世界が提示されているだけになる。(いつせいに七夕竹の揺れし街)という一気呵成な叙述によって、いつもと違う街の入り口に立たされるのである。ここに虚実皮膜の不思議さが現れる。
私が俳句を学んだ川崎展宏氏は、俳句は苦心のあとを見せていけない、というのが信条だった。宮本さんの俳句は、その苦心の跡を消すまで叙述に拘った句集なのであ。
2014年 仏生会の日に 岩淵喜代子]]>
第五句集『白雁』 2012年4月 角川書店
http://owl1023.exblog.jp/18041990/
2012-10-07T00:47:00+09:00
2012-10-07T00:50:16+09:00
2012-10-07T00:46:51+09:00
owl1023
岩淵喜代子著書
万の鳥帰り一羽の白雁も
幻をかたちにすれば白魚に
春愁のときどき薬飲む時間
花ミモザ地上の船は錆こぼす
紫陽花に嗚呼と赤子の立ち上がる
十二使徒のあとに加はれ葱坊主
今生の螢は声を持たざりし
登山靴命二つのごと置かれ
ががんぼの打つ戸を開けてやりにけり
鬼の子や昼とは夜を待つ時間
鳥は鳥同士で群るる白夜かな
月夜茸母が目覚めてくれぬなり
月光の届かぬ部屋に寝まるなり
萩芒小袖を振つてみたかりき
葉牡丹として大阪を記憶せり
狼の闇の見えくる書庫の冷え
晴れきつて鴨は水輪の中に居る
風呂吹を風の色ともおもひをり
春の闇鬼は手の鳴るはうに来る
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伊丹竹野子第2句集『愛の花言葉 三六六日』
http://owl1023.exblog.jp/17390769/
2012-04-05T22:13:00+09:00
2012-04-05T22:30:01+09:00
2012-04-05T22:13:54+09:00
owl1023
伊丹竹野子著書
「帯 文」
人は、陰と陽の不可思議な結びつきを得ることによって、愛に安らぎ・恋に身を焦がしつつ人生を全うします。
「愛を与え・恋を慈しむ」が人生の花!「愛の花言葉・三六六日」を、何卒ご笑読下さい。
(本文三六六句から抜粋)
1月1日 福寿草(永遠の幸福)
ほのぼのと寿ぐものよ福寿草
2月2日 ムスカリ(黙っていても通じる人)
ムスカリや笑みを絶やさぬつまの顔
3月16日 沈丁花(甘味な思い出)
沈丁の香に酔い痴れる恋の道
4月15日 薔薇(愛を誓う)
薔薇園のばらデュエットの雨の中
5月13日 都忘れ(強い意志)
都忘れ身近に咲きて遠き花
6月16日 沙羅の花(愛らしい人)
相傘で待つや落花の沙羅双樹
7月12日 煙草の花(孤独が好き)
禁断の木の実食べけり花煙草
8月28日 黒百合(恋・呪い)
黒百合のゆらりゆらりと闇夜かな
9月15日 鬼百合(富の蓄積)
鬼百合のみな反り返る白昼夢
10月10日 茜草(私を思って)
逢へぬ日の朝な夕なの花茜
11月14日 紅花(大切な思い出)
妹山へ心猿放つ紅葉宿
12月27日 寒桜(憧れの人)
豊かなる乳房に見立て寒桜
ーーあとがきよりーー
二十数年前の正月、京都の知人宅を訪れたとき、隣家の千葉真一氏宅の玄関前に、鉢植えの福寿草が蕾を膨らませ、馥郁たる初春の悦びをもって迎えてくれた。新玉の寿ぎと相まって幸せな気持ちで眺めている内に、ほっと浮かんだのが『ほのぼのと寿ぐものよ福寿草』の一句である。その後『愛の歳時記』(黛まどか編著)に出合い、さらに、同人誌「ににん」に参加して間なしの頃に、代表の岩淵喜代子氏から頂いた色紙「逢ひたくて蛍袋に灯をともす」の一句が恋の句づくりに拍車をかけることになった。
このような出合いを得てより今日まで「愛と恋」をテーマに据えて一句を積み重ねて来たものである。しかし、一年366日に仕分けするには、季節の移ろいに合わすことに無理のあることを否定することが出来ないが、
これからも、一期一会の出合いに、絵心・歌心を通わせ合い。人と自然に対して、優しく温かい思いやりのひと時を、一齣づつ積み重ねて行くことを生涯の課題として、歌詠み鳥に学び続けたいと思っている。
花や花言葉は『花の大歳時記』(森澄雄監修)、『日本大歳時記』(水原秋櫻子・加藤楸邨・山本健吉監修)、『俳句の花図鑑』(榎本一郎監修)、『誕生花と幸福の花言葉366日』(徳島康之監修)そのほか、各種の俳句雑誌及びネット上の花言葉などから採用させて頂きましたことを記させて頂きます。
句集の上梓にあたって、「文學の森」の皆さに格別のご指導を頂きました。厚く御礼申し上げます。
平成23年・春 一峯庵にて 伊丹竹野子
*発行所: 株式会社「文學の森」 2011年
*定 価: 本体 1、500円+税]]>
評伝『頂上の石鼎』 深夜叢書
http://owl1023.exblog.jp/12063378/
2009-10-05T00:20:00+09:00
2012-10-07T00:48:03+09:00
2009-10-05T00:20:02+09:00
owl1023
岩淵喜代子著書
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句集『夢も希望も足元に』 平林恵子 美研インターナショナル
http://owl1023.exblog.jp/10595203/
2009-03-20T13:29:00+09:00
2009-03-20T13:37:31+09:00
2009-03-20T13:30:28+09:00
owl1023
平林恵子著書
優しく深いまなざしと知的ユーモアあふれる俳句集
足柄の地や旅先でみつけた、日々の風景や出会った人びと。独自の感性で紡がれる十七音に、著者の精緻な観察と鋭い知性を感じます。本人から語られるエッセイ「俳句の背景」も収録。句がより味わい深く感じられる一冊。
バレイタインー机に一つ柚子転ぶ
糸口を知る皀莢につまづいて
冬すみれ夢も希望も足元に]]>
長嶺千晶句集『つめた貝』 2008年9月9日ふらんす堂刊
http://owl1023.exblog.jp/9006832/
2008-09-07T15:47:00+09:00
2008-09-17T09:47:21+09:00
2008-09-07T15:47:39+09:00
owl1023
長嶺千晶著書
自選15句
蝌蚪過ぎるひとかたまりの蝌蚪のうへ
涼しさや香炉ひとつが違ひ棚
浮かび合ふことの愉しき冷し瓜
忘られて金魚は部屋に生きてをり
立ちしまま化粧ひて朝の涼しさよ
階段に鉄の隙間の薄暑かな
古今集ひらけば夜々に鳴く鶉
クレソンのあをあをと冬来りけり
午過ぎの寒き灯となる魚市場
水飲みて言はざる一語夜の雪
訣別や雪原に押す煙草の火
息白く喪服で壁に凭れゐる
日向ぼこして遠き日の吾に逢ふ
冬桜こころに篤き文の嵩
引鶴や日輪白く濁りたる
「日常を磨く」 栞・小川軽舟
長嶺さんは日常生活の中で無理に背伸びすることもなく、その細部に丁寧に詩を見出していく。その姿勢が私は好きだ。
朝涼や片手で返すフライパン
時かけて鍋釜磨く鵙日和
例えばこのような句。朝食のためにフライパンで炒め物をしている。片手で揺すって中身をぽんと返す。何度繰り返した行為だろう。油がなじんで、いかにも使い慣れたフライパンだ。そして、時間がたっぷりある晴れた日に、鍋釜をまとめて磨く。どれも愛着のある大事な道具である。
こうした日常のありふれた断片が、朝涼や鵙日和の季語を得て詩になる。それは個人的な出来事が季語によって普遍性を得るということだ。私たちはこのようにして季語に出会うために毎日を暮らしている。季語と出会って詩になるのは一瞬のこと。その一瞬を待つために、日常の一齣一齣をおろそかにせず手入れしておくのだ。
本閉ぢていつもの時間水中花
金木犀旅にあるごと目覚めけり
小説を読んでいる間は、その小説の時間の中にいる。本を閉じたとたんにその時間は止まる。現実の時間に戻ってゆくものうさの中で、コップの中の水中花のあざやかな色がくっきり見える。金木犀の句は午後のまどろみのあとであろうか。カーテンを揺らす風に金木犀の香りがする。いつもと変わらぬ昼下がりなのに、それは旅の時間のようにほんの少し日常から遊離している。日常というものがそれとは異なる時間や空間にゆるやかに接していることをこの二句から知らされる。
小春日や眼鏡はづして糸通す
長嶺さんは昭和三十四年生まれ。三十六年早生まれの私とは学年一つ違いの同世代である。この句は四十代終わりに近づいた者の実感である。近眼鏡をしたままでは手許が見えにくくなった。だから眼鏡を外して近くのものを見る。老眼鏡が要るわけではない。眼鏡を外せば見えるというところにささやかなユーモアと自愛がある。
純情は真つ赤と思ふかき氷
かき氷のシロップの合成着色料らしいあざやかな原色が目に浮かぶ。あの強烈な色は、女の子のまっすぐな純情の強さでもあったのだ。「純情は真つ赤」と言われると、恥じらいいで染まった頬やら、初潮の赤、破瓜の赤まで連想はめまぐるしく移ってたじろぐ。同時に「真つ赤な嘘」という言葉にも思いが及ぶ。純情は手ごわいのである。
大寺の屋根の端より雀の子
大きな屋根の端で身をかたくしていた雀の子が、勇躍して飛び立った。ほかの参詣人は誰も見ていない。作者だけに見えたその構図は、大景の中の細部にきちんと焦点が合っている。細部があってこそ、全体がある。その世界の成り立ちを祝福する気分がうれしい。
チェロ弾くや独りに余る春灯
独りでチェロを弾いている。部屋には惜しみなく春の灯が満ちている。うるわしい春宵を独り占めにするうれしさと分かち合う人のいない寂しさとが綯交ぜになっているようだ。
そしてその両面は、春灯という季語が本来備えているものなのだと気づく。
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宇陀草子句集『吉野口』 文学の森刊 平成20年7月1日
http://owl1023.exblog.jp/8725749/
2008-07-29T02:40:00+09:00
2008-09-17T10:19:29+09:00
2008-07-29T02:40:56+09:00
owl1023
宇陀草子著書
宇陀草子句集 『吉野口』
自選十句
ショパン聴く朝あぢさゐに風あふれ
虹消えて巌頭に裸かゞやかす
小走りに人ゆくおぼろ宇陀郡
稲架解いて亀石に日のあたりけり
一陣の野火立ちあがる吉野口
毛皮着て即身仏にみつめらる
獅撃ちの腰にはねたる守り札
亀鳴くや自称「裕」の終の弟子
深吉野の山彦自在に秋の空
冬晴れの鳶よくひびく裕句碑
序に代えて 原裕
鵙日和寺の障子の両開き
石鼎顕彰の集いでも、大会に先立ち東吉野村天照寺において盛大な法要がこころゆくまで催されたが、この句は鵙晴れの大気を大きく吸い込んで法事のこころを見事に演出している。「寺の障子の半開き」で、開け放たれた寺座敷が清潔に感じられる。
毛皮着て即身仏にみつめらる
今月の作品は、いずれも出羽三山詣の折りの作品であるが、俳句作りとしての信念が通っている力作である。
杉の間の雪山彦や羽黒山
即身仏雪かぎりなき出羽の国
毛皮着て即身仏にみつめらる
白鳥の羽搏ち頭上に最上川
雪嶺となりて鳥海山くれゆけり
とくに「即身仏」に対してのまなざしはきびしく、それが自己の内面を照らし出しているところに俳人(創作者)としての、仏に向う真摯な姿勢が、作品をゆたかなものにしている。
「即身仏雪かぎりなき出羽の国」は芭蕉も訪れたこの風土への渾身の挨拶の中で即神仏への呼びかけがうかがえ、また「毛皮着て即身仏にみつめらる」には、この世、あの世をへだてて即神仏と対峙している作者が浮び上がる。ドラマチックな構成に工夫がみられ自立した作品に仕上げている。
猪撃ちの腰にはねたる守り札
「猪撃ち」は山国の人々の生活であるが、作者はそこにかけがえのない季節の命を見出す。
「腰にはねたる守り札」を見逃すことのなかった作者の心眼にふれる思いがする。
鹿火屋誌より転載]]>
岩淵喜代子句集発刊 東京四季出版 2008年2月4日刊
http://owl1023.exblog.jp/7269387/
2008-03-05T00:28:00+09:00
2008-09-17T10:22:58+09:00
2008-01-14T21:08:43+09:00
owl1023
岩淵喜代子著書
12句抄
草餅を食べるひそけさ生まれけり
薔薇園を去れと音楽鳴りわたる
針槐キリスト今も恍惚と
嘘のやう影のやうなる黒揚羽蝶
緑蔭に手持ち無沙汰となりにけり
雫する水着絞れば小鳥ほど
三角は涼しき鶴の折りはじめ
運命のやうにかしぐや空の鷹
雪吊の雪吊ごとに揺れてゐる
秋霖の最中へ水を買ひに出る
白鳥に鋼の水の流れけり
古書店の中へ枯野のつづくなり
栞 斉藤慎爾
「嘘のやう影のやう」へのオード 〈陸沈〉の佳人
岩淵喜代子さんには〈陸沈〉の人という印象がある。これまでの俳壇のパーティで数回お会いしているが、初めて会った折に受けたその印象は少しもかわらない。「パーティ」と〈陸沈〉―ー
これは矛盾しているであろうか。そう反論する人もいるかもしれないが、私にとってはごく自然のことである。
〈陸沈〉について小林秀雄の還暦の感想を借りれば、「‥‥‥孔子は陸沈といふ面白い言葉を使って説いてゐる。世間に捨てられるのも、世間を捨てるのも易しい事だ。世間に迎合するのも水に自然と沈むやうなものでもつとも易しいが、一番困難で、一番積極的な生き方は、世間の真中に、つまり水無きところに沈む事だ、と考へた」(『考えるヒント』「還暦」)ということになる。むろん「パーティ」は世間の真中」ではないが、「世間」であることも事実である。孤独な世界、さしあたって、(俳人たちに背をむけた世界)を歩こうと決意した人間がいて、彼がやむなくパーティに出ざるを得ぬことも現世にはままあるのである。
新句集『嘘のやう影のやう』の「あとがき」で、岩淵さんは立冬の頃、出羽の霊山・月山に登った折の挿話を披瀝されている。掌文ながら、読む物の精神の襟を正さしむるような凛とした内容に富む。頂上を目指したのは、当時40代だった「鹿火屋」主宰の原裕を加えた男性三人と岩淵さん。「芭蕉が月山に登ったのは、僕と同じ歳だったよね」とぽつりと呟く原裕氏。原氏に比して「私はもっと若かったから、その年齢差も手伝って、当時でも偉大な貫禄のある俳人という受け止め方をしていた」と岩淵さん。そして「月山は橅類ばかりで、山を登るたびに透明度の増す黄葉が美しかった」という静寂なる一行が置かれる。
私はこの絶景に師弟道もしくは俳句道というものの比喩を見る。月山の頂上という「聖なるもの」を目指す師弟の心の深まりの距離、時間の暗示を見る。月山という此の世ならぬ幽明の世界を背景にしているだけに、この挿話は心に響く。山=師に対して自己を低める敬虔、怖れ。「神に向かっておのれを低める」ことを生涯の試練とした詩人ポール・クローデルは、アンドレ・ジイドに向っておのれがいかに低い、小さな存在であるかを知ることができる」と述べたという。クローデルのいう神を師に換喩し、私は岩淵さんと原裕氏や川崎展宏氏との絶対的な関係を羨望する。「自己を低める」ことが陸沈の所作であることはいうまでもない。
『嘘のやう影のやう』一巻にはいまや自身が人の師たる資格を十分に合わせ持つに到った岩淵喜さんの死生一如の精神が蒼白い隣光を放っている。敢えて十八句を録しておきたい。]]>
句集『二藍』
http://owl1023.exblog.jp/6856694/
2007-11-16T14:01:00+09:00
2014-08-30T20:15:46+09:00
2007-11-16T14:01:31+09:00
owl1023
上田禎子著書
自選十句
少年を見舞ふ車座赤のまま
パラソルをさしてモネの絵の風の中
新しき箸を揃へぬ星の妻
藁塚や只見川にかかる橋いくつ
きさらぎの風の街道獅子座まで
水温む葉刷子立ての亡夫のもの
月を待つ清貧家族膝揃へ
業平忌レモンの色の指輪買ふ
ミントの葉折りて秋の日遊ぶかな
賀茂祭馬をなだめて発ちにけり
取り合わされた二つの物(事)の間に立つエーテル状のものに心を打たれる。例えば「業平忌」の一句。その業平忌と、「レモンの色の指輪買ふ」のフレーズは、本来まったく関係のないことだが、作者にはそれが適うと思える。これも私が日頃から言う「心の色」なのである。その心の色こそが先に書いた「個の発現」ということになる。榎本好宏「序に代えて」より
目次より
旅の夜を線香花火で閉ぢにけり
あをあをと硝子の空を帰燕かな
紅葉狩り吾に棲みつく天邪鬼
夜の秋蝶々魚はしあはせか
雪催タイ料理でも食べに行こ
角川書店 2007年刊]]>
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