カテゴリ:岩淵喜代子著書( 13 )

『二冊の鹿火屋 ―― 原石鼎の憧憬』  岩淵喜代子

岩淵喜代子著『二冊の「鹿火屋」……原石鼎の憧憬』 俳人協会賞2014年度評論賞受賞

昭和八年から連載されていた「石鼎窟夜話」には、石鼎を養った出雲神話の根源のようなものが展開されている。そうして、石鼎のためにだけ発刊された「鹿火屋」を読むと、「石鼎窟夜話」から辿りつこうとしていた石鼎の憧憬の世界が垣間見えるのである。
 昭和六年に「頂上や殊に野菊の吹かれ居り」の句を詠んだ地が霊畤であったことは、石鼎の中に無意識に内在していた記紀の世界ををあぶり出した。それが「ありし日の深吉野を偲ぶ」四十七句となるのである。また、昭和十六年の二宮での住所にあった「吾妻」という地名が、さらに神話の国へ誘うのであった。
 そのために鹿火屋会は、一般配布の「鹿火屋」と神話の国へ遊びに行ってしまった石鼎のための雑誌を作らなくてはならなかったのである。


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by owl1023 | 2014-10-29 01:13 | 岩淵喜代子著書

第五句集『白雁』 2012年4月 角川書店

尾があれば尾も揺れをらむ半仙戯
万の鳥帰り一羽の白雁も
幻をかたちにすれば白魚に
春愁のときどき薬飲む時間
花ミモザ地上の船は錆こぼす
紫陽花に嗚呼と赤子の立ち上がる
十二使徒のあとに加はれ葱坊主
今生の螢は声を持たざりし
登山靴命二つのごと置かれ
ががんぼの打つ戸を開けてやりにけり
鬼の子や昼とは夜を待つ時間
鳥は鳥同士で群るる白夜かな
月夜茸母が目覚めてくれぬなり
月光の届かぬ部屋に寝まるなり
萩芒小袖を振つてみたかりき
葉牡丹として大阪を記憶せり
狼の闇の見えくる書庫の冷え
晴れきつて鴨は水輪の中に居る
風呂吹を風の色ともおもひをり
春の闇鬼は手の鳴るはうに来る
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by owl1023 | 2012-10-07 00:47 | 岩淵喜代子著書

評伝『頂上の石鼎』  深夜叢書

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by owl1023 | 2009-10-05 00:20 | 岩淵喜代子著書

岩淵喜代子句集発刊 東京四季出版 2008年2月4日刊

第四句集『嘘のやう影のやう』 
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12句抄
草餅を食べるひそけさ生まれけり
薔薇園を去れと音楽鳴りわたる
針槐キリスト今も恍惚と
嘘のやう影のやうなる黒揚羽蝶
緑蔭に手持ち無沙汰となりにけり
雫する水着絞れば小鳥ほど
三角は涼しき鶴の折りはじめ
運命のやうにかしぐや空の鷹
雪吊の雪吊ごとに揺れてゐる
秋霖の最中へ水を買ひに出る
白鳥に鋼の水の流れけり
古書店の中へ枯野のつづくなり


栞 斉藤慎爾 
「嘘のやう影のやう」へのオード 〈陸沈〉の佳人
岩淵喜代子さんには〈陸沈〉の人という印象がある。これまでの俳壇のパーティで数回お会いしているが、初めて会った折に受けたその印象は少しもかわらない。「パーティ」と〈陸沈〉―ー
これは矛盾しているであろうか。そう反論する人もいるかもしれないが、私にとってはごく自然のことである。

〈陸沈〉について小林秀雄の還暦の感想を借りれば、「‥‥‥孔子は陸沈といふ面白い言葉を使って説いてゐる。世間に捨てられるのも、世間を捨てるのも易しい事だ。世間に迎合するのも水に自然と沈むやうなものでもつとも易しいが、一番困難で、一番積極的な生き方は、世間の真中に、つまり水無きところに沈む事だ、と考へた」(『考えるヒント』「還暦」)ということになる。むろん「パーティ」は世間の真中」ではないが、「世間」であることも事実である。孤独な世界、さしあたって、(俳人たちに背をむけた世界)を歩こうと決意した人間がいて、彼がやむなくパーティに出ざるを得ぬことも現世にはままあるのである。

 新句集『嘘のやう影のやう』の「あとがき」で、岩淵さんは立冬の頃、出羽の霊山・月山に登った折の挿話を披瀝されている。掌文ながら、読む物の精神の襟を正さしむるような凛とした内容に富む。頂上を目指したのは、当時40代だった「鹿火屋」主宰の原裕を加えた男性三人と岩淵さん。「芭蕉が月山に登ったのは、僕と同じ歳だったよね」とぽつりと呟く原裕氏。原氏に比して「私はもっと若かったから、その年齢差も手伝って、当時でも偉大な貫禄のある俳人という受け止め方をしていた」と岩淵さん。そして「月山は橅類ばかりで、山を登るたびに透明度の増す黄葉が美しかった」という静寂なる一行が置かれる。

 私はこの絶景に師弟道もしくは俳句道というものの比喩を見る。月山の頂上という「聖なるもの」を目指す師弟の心の深まりの距離、時間の暗示を見る。月山という此の世ならぬ幽明の世界を背景にしているだけに、この挿話は心に響く。山=師に対して自己を低める敬虔、怖れ。「神に向かっておのれを低める」ことを生涯の試練とした詩人ポール・クローデルは、アンドレ・ジイドに向っておのれがいかに低い、小さな存在であるかを知ることができる」と述べたという。クローデルのいう神を師に換喩し、私は岩淵さんと原裕氏や川崎展宏氏との絶対的な関係を羨望する。「自己を低める」ことが陸沈の所作であることはいうまでもない。

 『嘘のやう影のやう』一巻にはいまや自身が人の師たる資格を十分に合わせ持つに到った岩淵喜さんの死生一如の精神が蒼白い隣光を放っている。敢えて十八句を録しておきたい。
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by owl1023 | 2008-03-05 00:28 | 岩淵喜代子著書

句集

現代俳句文庫ー57 『岩淵喜代子句集』  

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収録句集

『朝の椅子』
『螢袋に灯をともす』
『硝子の仲間』










解説 『眼力と時間』       藤原龍一郎
    
    『「我」を遠くへ』      池田澄子

エッセイ『 文体は思想』     岩淵喜代子

                       2005年  ふらんす堂刊
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by owl1023 | 2007-07-06 17:46 | 岩淵喜代子著書

句集

 恋の句愛の句  『かたはらに』 岩淵喜代子

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2004年 文学の森社刊
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by owl1023 | 2007-07-06 17:23 | 岩淵喜代子著書

句集


岩淵喜代子 第三句集『硝子の仲間』   

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帯     ・・・・・・清水哲男
 岩淵喜代子さんのポエジーの源は、
 いつも一本の樹木を想わせる。
 あるときは太い幹から発せられ
 あるときは高い梢から、
 かと思うと細い小枝から、
 ときには裏返しの葉っぱから
 と自在である。
 句集でこれらの多彩な
 ポエジーが響きあい
 おのずから読者を
 生きる歓びへと誘ってくれる。
 木漏れ日の下に、この一冊を。


自選15句抄
   魂も石榴もひとつとかぞへけり
   冬の宿風見るほかに用もなし
   穂薄も父性も痒くてならぬなり
   青空のひらと舞ひ込む雛祭
   七人の敵に風船飛ばしけり
   和解などする気なけれど柳絮飛ぶ
   葱坊主うらもおもてもなき別れ
   抱へたるキャベツが海の香を放つ
   氷室守秘密の部屋を開けるごと
   空蝉も硝子の仲間に加へけり
   われわれと書くとき夕顔ひらきけり
   秋風の枕をときに顎の下
   角のなき鹿も角あるごと歩む
   桐の実を見るは耳掻き使ふとき
   初冬の舟の食事の見えにけり


        2004年 角川書店刊
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by owl1023 | 2007-07-06 17:20 | 岩淵喜代子著書

共著

100人20句     巴書林  平成13年8月30日 第一刷

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新しさを追うあまりに、俳句の土台を見失うことがないようにしたい。 
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収録句(岩淵喜代子)
滲み出てくる鶏頭の中の闇         『朝の椅子』
まんさくは鬼の振向いてゆきし花
月山の木の葉かぞへて寝ねんとす
冷まじや一人をかくす寺柱

蝙蝠やうしろの正面おもひだす       『螢袋に灯をともす』
逢ひたくて螢袋に灯をともす
端居して帰りゆ処のなきごとし
空腹や海月はゆらす身のすみずみ
噴水の虹は手に取る近さなる
ポンペイの蜥蜴はいつも濡れてゐる
身ほとりに鳴子の縄をめぐらしぬ
空也忌の闇が動いてくるやうな
初刷に発車のベルの火のごとし
朝日にも夕日にも山笑ひけり
あつあつの目刺のどこを齧ろうか
にはとりは春の嵐の下くぐる
春深し鳥に背筋のあることも
大空の端は使はず揚雲雀
カステラと聖書の厚み春深し
少しづつ暮れてくれきる桃の花
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by owl1023 | 2007-07-06 00:49 | 岩淵喜代子著書

句集

岩淵喜代子 句集 『螢袋に灯をともす』 
2001年度の四季出版「俳句四季大賞」第一回受賞

帯文   第一句集『朝の椅子』以降から13年間間の作品を収録。亡き師・原裕への哀悼の意をこめて御前にささぐ第二句集。虚脱喪心の日々を経て、新たなる俳句への出発。




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句集抜粋
    蝙蝠やうしろの正面おもひだす
    裸子のつまみどころもなかりけり
    噴水の虹は手に取る近さなる
    空腹や海月はゆらす身のすみずみ
    ポンペイの蜥蜴はいつも濡れてゐる
    新涼の馬ふりかへりふりかへり
    身ほとりに鳴子の縄をめぐらしぬ
    軒下に何もかも吊る冬日かな
    空也忌の闇が動いてくやうな
    太古より壺は壺形初明り
    終の雪白樺に降り馬に降る
    にはとりは春の嵐の下くぐる
    春深し鳥に背筋のあることも
    大空の端は使はず揚雲雀

ふらんす堂 2000年刊
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by owl1023 | 2007-07-06 00:28 | 岩淵喜代子著書

エッセイ集

岩淵喜代子著エッセイ集『淡彩望』  
                                    墨彩画  山内美代子
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帯文 正津 勉
何かへ心を凝らしている」。集中冒頭の「去年今年」にある言葉だ。 岩淵喜代子は美しい瞳をしている。そのつよく曇りのない瞳でみつめられた、ときの表情、おりふしの出来事、それらはなんと優しい光に包まれいるだろう。ときにわたしたちは聴くことになるのである。「深い内部では、すべてが法則です」という声を。

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b>本文「辛夷の花」より
~~そのみどりの樹の中ほどに、最後の花びらがいつまでも留まっていのが気になっていたが、それもある日消えてしまった。すると、過ぎたいく日かが、とりわけ穏やかな日和であったことに気がつくのである。

あとがき
この『淡彩望』は、長年にわたって書きためた文章の中から、俳句の延長線上にある作品を一集にしたものである。そのため、あえて俳詩、あるいは俳詞というジャンルを作りたいのである。 詩人正津勉氏の推薦文と山内美代子さんの墨彩画をそえていただけたことに弾みをつけて上梓する運びになった。発行するにあたって助けていただいた多くの方々に、厚く御礼を申し上げる。 1999年10月 岩淵喜代子

200年2月  ふらんす堂刊 
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by owl1023 | 2007-07-05 21:35 | 岩淵喜代子著書