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平林恵子句集『チョコレート口に小春日臨時列車』 ![]() ![]() 最近、ウキウキしてますか? 女友達とパリオペラ座で迎えたお正月 コーヒー片手に真夏の風を受ける午後 たくさんの心はずむ光景に出会える軽妙洒脱な俳句集 ににんの仲間山内美代子さんの絵がそれぞれのページを一層楽しませてくれる 句画集と言える。 湯上りの素足をくづす雛の間 火柱をあげしステーキ春動く 二た三言かはしたき人さるすべり ボクシングジム点りおり十三夜 弄ぶ恋があるらし温め鳥 発売 美研インターナショナル
「四季吟詠句集」 牧野洋子
![]() 自薦10句 雪の午後読み継ぐ本を読み尽くし まんさくの花びら動く日曜日 啓蟄や真白き船の客となる 吾雛はピアノの上にをさまりぬ 亀鳴くや男は赤き花を買ふ 水滴を一滴保つ木の芽かな 内緒話みな聞こえそう月の道 枯野原野菊ばかりに陽の当たる どの部屋も明かりの灯る冬休み 侘助や座敷に足袋の擦れる音 四季出版刊
現代俳句文庫ー57 『岩淵喜代子句集』
![]() 収録句集 『朝の椅子』 『螢袋に灯をともす』 『硝子の仲間』 解説 『眼力と時間』 藤原龍一郎 『「我」を遠くへ』 池田澄子 エッセイ『 文体は思想』 岩淵喜代子 2005年 ふらんす堂刊
宮城雅子第一句集『薔薇園』 文学の森社刊
![]() 『薔薇園』収録作品より 老人の日の車座の中にあり 東をどりの妓がタクシーへ手を振りぬ 薔薇園のベンチに数学解く乙女 白磁壷どこも正面秋桜 本堂の暗きに慣れて汗拭ふ 望遠レンズ互に覗く冬帽子 満席の五月の空の観覧車 人影の動くに揺るる冬牡丹 人の目を恋うて近づく神の鹿 水底の浅蜊鳴き出す日暮時 跋 「樹の会」の仲間たち 岩淵喜代子 宮城雅子さんのことを語るには、私と一緒に参加していた「樹の会」の紹介が一番手っ取り早いのである。ことに、そこで作ったアンソロジーに記したあとがきが、会のありようを伝えているので、全文を引くことにした。 「樹の会」は不思議な集まりである。会が存続すれば湧いてくるはずのざわめきがない。会が続けば当然起こるはずの馴れ合いが生まれない。 何んとも静かな集まりである。 ひたすら原裕先生のご指導に耳を傾ける場であった。 しかし、その静かさも、十年の歳月を重ねてきたということになれば、ただの静かさではない。その証拠に、いつ誰がともなく十年の折目をつけたいという意見が結集して、このようなアンソロジーが生まれることになった。 (1992年7月「樹の会」あとがきより岩淵喜代子) アンソロジーといっても、会員の句を三六五日の暦に編集したもので、今見直してみてもユニークな企画だった。 宮城さんもみんなと同じように、黙々と会場に現れ、終ればまた深々と頭を下げて会場を出て行く月日を重ねていた。会は十周年のあとも続いていた。しかし、原先生の体調が思わしくなくなって、わたしたちのほうでご来駕を危ぶんでいたが、辞めるとはおっしゃらなかった。だが、その後さらに病状が進んで会は解散せざるを得なかった。 宮城さんはそれを機に鹿火屋会をも遠ざかって、音信も絶えていた。それが今年の夏、突然、そのときの原先生の目を通してくださった作品を纏めたいという意を伝えてきた。 そして、その句集をばねにして「ににん」で俳句を作っていきたいという意思を述べられた。 老人の日の車座の中にあり 東をどりの妓がタクシーへ手を振るぬ 薔薇園のベンチに数学解く乙女 本堂の暗きに慣れて汗拭ふ 望遠レンズ互に覗く冬帽子 満席の五月の空の観覧車 人影の動くに揺るる冬牡丹 登り口いくつもありて山法師 人の目を恋うて近づく神の鹿 水底の浅州鳴き出す日暮時 サングラスに映る街並み異国めく これらはすべて原裕先生の選を受けた俳句である。先生の真撃な生き方を学んだ一集である。 平成十六年十月吉日 (平成16年12月18日発行・株式会社文學の森・句集『薔薇園』宮城雅子)
平林恵子第一句集 『秋冷の竹』
![]() 帯文 塩田丸男 平林恵子さんの俳句は、ひと口でいうと「一念の俳句」である。つらぬき通す美しさを持っている。これは最近の日本人にもっとも欠けているものではないだろうか。多分、お人柄によるものだろう。一句一句の良し悪しよりも句集一巻を読みおわったあとの感興がよかった。心に沁みた。これからもぜひ、一念をつらぬき通してください。 跋 背筋の見える人 岩淵喜代子 平林恵子さんのことに触れるには、わたしの俳句入門の時期あたりから語らなければならない。 それは、一九七五年頃だった。「鹿火屋」という文字の読み方にさえ戸惑っていた頃である。 その「鹿火屋」誌の巻頭近くにいつも輝いていた一人に、平林恵子さんがいた。 ほかに私が覚えているのは、中山一路さん、長谷川貴枝さん、永島理江子さん、椎橋清翠さん、美馬和代さん直江るみ子さん、川村和子さん等、そのすぐ後で浮上してきたのが、小室義弘さん、北沢瑞史さん等であった。鹿火屋の外側の人たちでも、この名前を知っていると頷く人は多い筈だ。 だが、いつこれらの人たちが消えたのか、その消え際は見ていないまま、気がつけばそれらの半数以上の名が、その数年後に消えていた。消えていたというのは、浮上した新人に座を奪われたのではない。誌上から消えていったのである。 現在、鹿火屋誌上に名前を残しているのは、中山一路さんだけである。 その先輩たちの流麗な俳句に、私も感化されて育ったと思っている。 これらの仲間の中でも平林さんの句風は、理知的で硬質で、鮮明な輪郭を持っていた。 雨意のおく再びまみゆ吉野藤 祝ごとの母の姉妹や切山椒 焚く中の松の匂ひに冴え返る 音読の背なに重ねし青網戸 ひたすら、鹿火屋の伝統を継承していた原コウ子に育てられたこの作家の緻密な表現は見事である。 秋冷の竹を眺むるあとずさり この句が、まだ主宰になって間のな原裕先生の鑑賞で提示されたときの印象は忘れられない。 ただただ真っ青な竹林の前に立つ作者の、俳句への厳しい姿勢を見たような気がした。 私は、平林さんと同じ歳である。それが、お互いの親近感となって、何度も旅を重ねている。これからも、いろいろ旅に同行させていただきたいと思っている。 二〇〇四年 盛夏 2005年 文学の森社刊 岩淵喜代子 第三句集『硝子の仲間』 ![]() 帯 ・・・・・・清水哲男 岩淵喜代子さんのポエジーの源は、 いつも一本の樹木を想わせる。 あるときは太い幹から発せられ あるときは高い梢から、 かと思うと細い小枝から、 ときには裏返しの葉っぱから と自在である。 句集でこれらの多彩な ポエジーが響きあい おのずから読者を 生きる歓びへと誘ってくれる。 木漏れ日の下に、この一冊を。 自選15句抄 魂も石榴もひとつとかぞへけり 冬の宿風見るほかに用もなし 穂薄も父性も痒くてならぬなり 青空のひらと舞ひ込む雛祭 七人の敵に風船飛ばしけり 和解などする気なけれど柳絮飛ぶ 葱坊主うらもおもてもなき別れ 抱へたるキャベツが海の香を放つ 氷室守秘密の部屋を開けるごと 空蝉も硝子の仲間に加へけり われわれと書くとき夕顔ひらきけり 秋風の枕をときに顎の下 角のなき鹿も角あるごと歩む 桐の実を見るは耳掻き使ふとき 初冬の舟の食事の見えにけり 2004年 角川書店刊 ![]() 草深昌子句集『邂逅』 栞・『邂逅』に寄せて―――岸本尚毅 ありがたいことに、私の句仲間には俳句の上手な人が多い。草深さんもその一人だ。上手なうえに、俳句とはどうあるべきかという問題意識が確かで、俳句が沈黙の文芸であることを理解している。 もともとは叙情的な作家と思われるが、辛抱しながら俳句に忠実ならんとしている。その結果、表現に抑えの効いた佳句が生まれる。 赤梨に田舎の日差しとぞ思ふ 「田舎」という、むずかしい言葉をよく使いこなしている。 数珠玉を水切るやうに振ってをり も好い。 この句集は、総じて言葉に対する制御が行き届いている。極言すれば、俳句に必要なのは、感動でも叙情でもない。一つ一つの言葉がその一句に対してどのような影響を与えるのか、言葉と言葉がどのような相互作用を持つか、といったあたりの微妙な匙加減が、じつは句作りの本質なのではないだろうか。 おしなべて秋草あかきあはれかな などは、簡単な言葉を並べながら、秋草の風景の醸しだすニュアンスを掬いあげた。 「写生句」の汲めども尽きぬ面白さは、言葉を微妙に繰りながら、風景を手繰り寄せるように描き取るところにある。 ぼうたんに非のうちどころ無くはなし を写生というか否かは別としても、見事に咲ききった牡丹の花にも、どこか花びらの乱れたところや、色の整わぬところがあるものである。そのあたりを突き放したような、やや遠回りの言い方で言いとめている。この「遠回り」というところが、俳句における言葉の冒険の一つなのだ。 青田風とは絶えまなく入れ替はる 「青田風」とは案外むずかしい季題の一つ。この句は、感覚を抑えることによって、青田風の洞察に成功した。 私自身よくわからないのだが、俳句とは本来、感動や叙情や、詩情というようなものを詠うものなのだろうか。もちろんそういった佳句は多々ある。しかし、本当に俳句らしい俳句はちょっと違うんじゃないかと、私は次のような句を見ながら思うのである。 露時雨傘を刀に鞍馬の子 大勢を振り向かせたる熊手かな 大根は雨に一尺浮き出たる 寒禽の日暮はじっとしてをれぬ 貼紙に一つ苦情や花八ツ手 このほか、この句集には かりがねや地球を巌とおもふとき セーターの黒の魔術にかかりけり のように、観念に遊んだ好句や、 蟻穴に出づる出合ひの辞儀あまた 如何しても蟻の力を借りぬ蟻 のように、滑稽味を湛えた好句があることを付言して置こう。 いずれにせよ、捨てるべき句をよく捨てた一巻であり、お世辞でなく、一読をお薦めし得るものと考えている。 *草深昌子句集・栞 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 『邂逅』より抄出 花散るや何遍見ても蔵王堂 たれよりも靴を汚してあたたかき こんこんと水湧く春の水の中 ぼうたんに非のうちどころ無くはなし 青田風とは絶えまなく入れ替はる 帰省子に階段一つづづ鳴りぬ 大空は大穴なりし雲の峰 秋風の赤子に眉の出できたり 子規の忌の雨号泣す大笑す おしなべて秋草あかきあはれかな セーターの黒の魔術にかかりけり 鮟鱇のだんだん平べったくなりぬ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ (第二句集『邂逅』・発行2003年6月6日・発行所 ふらんす堂) # by owl1023 | 2007-07-06 17:01
第二句集『夏館』長嶺千晶
![]() 本阿弥書店 2003年7月1日 刊 帯文 装丁 加藤恒彦 帯文 落ち着きと居住まいの正しさの中にも ほのかに漂うユーモア 豊かな感性で時の流れを見つめ 真摯に、そしてしなやかに「今」を詠う 著者充実の第二句集 収録作品より 引く波を押し上ぐる波鷹渡る 日盛りの影をちぢめて象老ゆる 苦瓜やぶらさがるものみな愉し 事務椅子の半回転に雲の峰 田蛙のキリリコロロと父老ゆる 朝寝して海はればれとありにけり 油絵に昭和の暗さ夏館 まだかたき桃のごとくに拗ねてをり 屈伸や地のたんぽぽに届くまで 蝌蚪に足出て笑ひたき日なりけり
100人20句 巴書林 平成13年8月30日 第一刷
![]() 新しさを追うあまりに、俳句の土台を見失うことがないようにしたい。 ![]() 収録句(岩淵喜代子) 滲み出てくる鶏頭の中の闇 『朝の椅子』 まんさくは鬼の振向いてゆきし花 月山の木の葉かぞへて寝ねんとす 冷まじや一人をかくす寺柱 蝙蝠やうしろの正面おもひだす 『螢袋に灯をともす』 逢ひたくて螢袋に灯をともす 端居して帰りゆ処のなきごとし 空腹や海月はゆらす身のすみずみ 噴水の虹は手に取る近さなる ポンペイの蜥蜴はいつも濡れてゐる 身ほとりに鳴子の縄をめぐらしぬ 空也忌の闇が動いてくるやうな 初刷に発車のベルの火のごとし 朝日にも夕日にも山笑ひけり あつあつの目刺のどこを齧ろうか にはとりは春の嵐の下くぐる 春深し鳥に背筋のあることも 大空の端は使はず揚雲雀 カステラと聖書の厚み春深し 少しづつ暮れてくれきる桃の花
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