草深昌子句集『青葡萄』

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草深昌子句集『青葡萄』 
       
      序 ・ 原  裕

     難波の血~ 句集『青葡萄』に寄せて

 句集名を思案しているうちに

  湯のやうな日がさしきたり青葡萄

の作品を「鹿火屋集」の句稿の中に発見したときの感動をあらたにしたのでした。それは<新しい作家>誕生の手応えでありました。
 わたしには、この作品のもつ「しずけさと充実感」が、すでに記憶の中に根付いている俳句に共通するものをうけとっていたのです。
 原コウ子の代表作の一つの<青葡萄太る一途にしずまれり>は、昭和三十一年のもの、句集『昼顔』に収録されています。この二つの「青葡萄」の俳句のたたずまいに近似なものをうけとったのです。つまり、女流にはめずらしく骨太なもの、それでいて女流のもつ繊細な感情のひだをみせる作風を感じたのです。
 草深昌子さんの俳句は、この「青葡萄」の句の生まれる以前から注目されましたが、この作品を発見して<新しい作家>の誕生の確信に似たものを得たのでした。
 原コウ子の「青葡萄」の句が生まれたころの作者は、鹿火屋主宰として後進の指導に精力を尽くされてをり、自分の作家としての努力を重ねていた時代のものです。つまり「俳句の可能性」への信頼へ全身をかけていたのでした。
 草深さんの第一句集の書名を「青葡萄」にしたいと考えたのには、これらのことのほかに、原コウ子も草深昌子も、ともに大阪生れです。そこに「難波の血」を思いました。
生涯大阪生れに誇りをもっておりました原コウ子に通じる何物かを草深さんに感じています。
 「青葡萄」の作品を発表した後、草深さんの作句は好調のようです。そこで本書に採録された六年間から年間一句を選んで味読し、この作者の俳句の輪廓をとらえたいと思います。

  毬ついて大地たしかむ五月晴

 「毬」によせる少女の時代からの祈りのようなものが伺える情景です。「五月晴」の天地の中で毬つきを楽しんでいます。その五月晴れの日差をすっかり吸い取ったようた大地との戯れ、その仲だちをしている毬のはずみ工合が何ともいえず心地よいのです。「大地たしかむ」ところに楽しい遊びのよろこびが感じられます。

  娘に贈る手鏡選ぶ聖五月

 これも五月です。「聖五月」には天地創造の気持をつないでいると見られます。娘に伝える母のこころ、「手鏡」には女性の魂がこもります。その「手鏡」を選んで娘に贈る母のこころは嬉しさにはち切れんぱかりです。

  父の日の空の厚みを知らず居りし

 「父の日」は六月の第三日曜。この句には昌子さんがお父上を早く亡くされて充分に甘えることができなかったという境涯がかくれています。それを天の神のふところでうけとめている。「空の厚み」にかけて詠んでいるのです。それだけ母の愛情に充たされて育った昌子さんの、母への感謝の念が一句の背景によみとれるのです。父母両親の分を母が一人で荷ってきているのですから。ちなみに草深さんの俳句入門はお母さんの影響と伺っています。
 近松忌全国大会で第一位となり文部大臣賞を受けたさいの家族からの祝福を笑顔で語っていた昌子さんの晴れやかた顔がいまも目に浮かびます。大阪へ出て受賞式にのぞんだときのよろこびを分ちあった日がありました。

  成人の日の娘を隔つ回転扉

 結婚して問もなく上京。母や姉たちと離れ住む身になった自分のことがふりかえられたことだろうと思います。娘も成人の日を無事に迎えた、祝福のこころは、また娘の自立をうながす季節でもあったことを、たまたま成人の日の祝宴を開いた会場の回転扉で気付かされたのです。それがうかつなことであったと思うには、娘への愛情が深すぎるのです。
ここには祈りがうたいとられています。

  白南風に花嫁の母吹かれをり

 この句には「姪・由紀、結婚」と前書があります。
 「歳月人を待たず」、いつしか母娘の一体の日々が過ぎて、ついに娘も良き伴侶を得て花嫁衣裳で自分の前にあらわれる仕儀となります。この明るい梅雨明けの白南風のなか、自分の姉を「花嫁の母」と認識させられたのです。ここに人生の哀歓はひとしおです。

  遠見して紙舟かともかいつぶり

 鳰の海に遊んだこころゆくまでの一日の旅の楽しさが伝わってきます。鳰(かいつぶり)を「紙舟」かとも眺めるところに、鳰を自分の眼でたしかめる姿勢が出ています。「紙舟」は比愉の面白さだけではなく、浮寝鳥を「物」としてうけとめているところに写実の眼の働き、自己の感性にすぺてをゆだねる姿勢があります。
 さらに俳句の可能性への挑戦、それは自己の可能性への挑戦でもあります。

   平成五年二月
 
                            正午山房にて     原 裕
     
      ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 
  
     『青葡萄』より抄出                                                      
   
     春暁やわが産声のはるかより
     まだ誰も戻らぬ雛の夜なりけり
     どの子にも影ついてゐる春の庭
     涅槃図に蛍飛ぶかと問はれをり
     母の日の花束に寄る核家族
     屑籠の底抜けてゐる終戦日
     眞白なる花火はつひにあがらざる
     狂ふかもしれぬ手を挙げ踊るなり
     星合の夜なり混み合ふ終電車
     秋風や子規も八雲も横向ける
     山の木にシテとワキある良夜かな


     ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
   
     (精鋭女流俳句シリーズⅠ 『青葡萄』 ・ 平成5年2月15日発行・ 牧羊社 )
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# by owl1023 | 2007-07-04 21:55

歌仙集「鼎」

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歌仙 鼎集

1990年発行










目次

夢の跡‥‥‥‥‥‥‥ 玲子・喜代子 
さみだれ‥‥‥‥‥‥ 玲子・喜代子
秋の島‥‥‥‥‥‥‥ 玲子・喜代子
美しき‥‥‥‥‥‥‥ 玲子・喜代子
常の景‥‥‥‥‥‥‥ 玲子・喜代子・まさる
風薫る‥‥‥‥‥‥‥ 秋元正江 捌き        
鶏頭‥‥‥‥‥‥‥‥森・喜代子・まさる
冬の日‥‥‥‥‥‥‥杉内徒司 捌き
養花天‥‥‥‥‥‥‥玲子・喜代子・まさる
梅雨明け‥‥‥‥‥‥草間時彦 捌き
天壇‥‥‥‥‥‥‥‥鈴木香歩(幸夫)捌き
啄木忌‥‥‥‥‥‥‥東明雅 捌き
古暦‥‥‥‥‥‥‥‥宇咲冬男 捌き
行春‥‥‥‥‥‥‥‥玲子・喜代子・和世
薄紅梅‥‥‥‥‥‥‥中島啓世 捌き
秋高し‥‥‥‥‥‥‥東明雅 捌き

序文 「鼎の会」について   東明雅
俳誌「貂」同人森玲子・「鹿火屋」同人岩淵喜代子・そして磯辺まさるのお三方ではじめられた連句「鼎の会」は、連句界の中でも独自の存在である。もともと「貂」には六十一年かの暮に逝去された早稲田大学名誉教授鈴木幸夫先生の連句の会「鈴」の流れがあって、森さんははやくから、その薫陶を受けておられたのである。鈴木先生とは私も風交があってたが、その作品のおおらかかな中に新しい詩情をたたえた、そして一種とぼけた飄逸な味は、非常に魅力的で多くのフアンが存在した。
 だから、それを襲いだ「鼎の会」の作品には、鈴木先生の余風が残っている。

     待ちくたびれし改札のそば        まさる
  昼の月ねむりつきたる嬰の重く        正江
     水硬くなる鮭の来るころ          喜代子
  秋声を聴く心地して長湯する          る
     丹念にひく口紅の色            玲
  鴉より黒き想ひの恋ありと           喜
                    (歌仙 「風薫る」)


  大干潟人も鳥居も脚出して          玲子
     つひ買いすぎしお土産の数       喜代子
  じつくりと余り野菜を煮込みゐる        和世
     地震も知らずに寝たきりの姑      玲
  磐石の平を襲ふ朝の霜             喜
     犬をつれゐる寒き公園          和
  海底を息つづくまで歩こうよ          和
                   (歌仙 「行春」 )

 これらは、単に付味・転じがよく、珠が見事にころんでいるというだけではなく、現代詩的なセンスがあり、新しい感覚が光っている。
 「鼎の会」はまだ十数巻しか作品がない。私の師匠、根津芦丈先生は「連句は十巻まいて一稽古、百巻まいてほぼ明るみに出る」と申しておられた。それによれば「鼎の会」は、ようやく一稽古済んだだけであろうが、既にはっきりとその特色をもっておられることは大したことである。こうして五十巻、百巻とまいて行かれるうちに、やがて明るみに出て、鈴木先生の作品に見られるような、とぼけた味(俳味、俳諧味)も加わって来るだろう。私はその日を期待しているのである。         (平成元年朧月、猫蓑庵において記す)
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# by owl1023 | 2007-07-01 23:56 | 岩淵喜代子著書

現代俳句の女性たち

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現代俳句の女性たち     
 

1988年刊  冬青社 宮入聖 発行








収録作家        山中葛子
              波多江敦子
              南上敦子
              中村マサコ
              柿本多映
              岩淵喜代子
              石塚左千子
              朝日不二美

岩淵喜代子のあとがき
 昭和六十年に上梓した『朝の椅子』のあとがきに「身に合わない服を着ているような気持ちで俳句にかかわってきた‥‥」と書き記した。
 いま同じことを書こうとする気持ちはうすれた。俳句にかかわっていこうとする諦念のようなものが出来たのであろう。それを覚悟と言いかえてもいい。
 しかし、明日も食べていけるるだろうかという切迫感に似た気持ちをそびらにして、俳句を作りつづけていることは今も変らない。
 そのことは俳句にかかわりつづけるかぎり変わらないだろう。
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# by owl1023 | 2007-06-27 00:19 | 岩淵喜代子著書

第一句集『朝の椅子』

1985年刊 
 岩淵喜代子第一句集 『朝の椅子』 永田書房
  
  序文  原 裕
  栞   川崎展宏

  朝の椅子欅の冬を迎へけり
  語るたび目に夏雲を映しをり
  棗熟れ馬の目誰にでも似てゐる
  背骨もつものに木の葉の揺れやまず
  荷がゆれて夕陽がゆれて年の暮
栞  「影置かぬ鳥」    川崎展宏

岩淵喜代子さんの電話の声は涼しい。涼しい声で必要なことをいう。
      初蝶の同じ高さを返しゆく
その電話の声のような句だ。
       鴨の池めぐりて水尾のひかる位置
       緑蔭のひかりは我を過ぎし人
句を得るときの姿勢というか、小柄な喜代子さんが体で受け止めた、正に「物の見えたる光り」である。とくに、後の句の微妙。原稿を一読したとき、
       腕組みを解く木犀の風の中
の句が飛び込んで来てくすりと笑った。喜代子さんには軽く腕を組む癖がある。「木犀の風の中」ではその腕組みを解くのである。喜代子さんが大笑いをした記憶が私にはない。
       天地に影置かぬ鳥冬の旅
 ふと、この「鳥」は、喜代子さんそのものではないか、と思った。小柄で、腕組みをした彼女の中に在るものは何か。
       風鐸と同じくらさの残り鴨  
       滲み出てくる鶏頭の中の闇</b>
その暗さのようなもの、それをかりに「無明」と名づけてみた。その言葉は、次の句を読んで得たのである
       燈籠の何も照らさず流れゆく
誰の中にもある「無明」が、彼女の中の詩魂としてあるのだろうか。だから、
       野分あと子がひとりづつ欅過ぐ
 の「子」が、光として見えてくるのだろう。また。次の句では、「一人」が、または「寺柱」のあたりが無明そのものとなる。
       冷まじや一人をかくす寺柱 
本当のことはわからぬ。 が、勝手な想像がゆるされれば、喜代子さんは、妻としては扱いにくい人のように思われる。ところが、いつか、彼女がみんなにご主人の写真を見せたことはあった。そのこと自体、意外だったが、山男のご主人は、まことに男らしい、いい男。これなら大丈夫と、妙に感心した。
       物縫ひて夜長の夫へ垣をなす
 と詠む彼女であるが。
       紫陽花の花より淡く石油基地
 という句もある。紫陽花の本意に対応してみせた、この切れ味は、彼女の本領であろう。
 何年つきあっても、彼女は馴々しく、とか、甘える、とか、そういった態度は一切見せない。おそらく誰に対してもそうだろう。彼女の顔は、本来、俳句仲間の誰にも向いていない。ではどこに向いているのか。”俳句に向いている”と、彼女から無言の答えが返ってきそうだ。それでよろしい。
 挙げたい句はいろいろあるが、
        まんさくは鬼の振りむいてゆきし花
など岩淵喜代子さんの今後の方向を暗示する作と思う。


序文 原 裕 
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# by owl1023 | 2007-06-15 01:23 | 岩淵喜代子著書

はじめに

これから徐々に、「ににん」の仲間の著書を紹介していきます。

季刊俳句雑誌  0号
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創刊2000年9月15日
代表 岩淵喜代子


 
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# by owl1023 | 2007-06-15 01:01