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牧野洋子第一句集 2014年8月 文学の森

牧野洋子第一句集 2014年8月 文学の森_f0141371_11034006.jpg序に代えて  

 牧野洋子さんが俳句を始めたのは群馬県前橋市の大型書店煥乎堂で行われていた俳句教室である。
この教室は現在の書店社長の母堂小林はるなさんがご自分の俳句の勉強のために設立したものである。名前も、そのときに付けた俳号である。わたしがその教室へ指導に通った年月が、牧野さんの俳句歴の年月でもある。二〇年くらいになるのだろうか。書店の六階の会議室を半日占領して行われる句会は、殆ど初期からの顔ぶれのまま現在も続いている。

  初夏やあいさつする子としない子と
  セーターの色を重ねて出勤す
  まんさくの花びら動く日曜日


 俳句教室が開設された当時の牧野さんは、まだ教職に就いていたが、作品にはそのことがごく自然に反映されていた。この淡々と日常を受け止められるということも、牧野さんの鷹揚な人柄なのである。通勤途中の子供たちへの視点もいかにも教師らしい切り込み方だが、初夏という季語によって透明な空気が呼びこまれた。 
 そうして、出勤への華やぎがセーターの色を重ねることになり、日曜日は見えないものが見えるようになる。(花びらが動く)という措辞以上にまんさくの花びらを特長つける表現があるだろうか。
 
  内緒話し皆聞こえさう月の道
 
 月の道とは月夜の道というよりは月に照らし出された道というほうがより作品に近寄れる。一句は、その道があまりに静かだという物理的なことを述べているのではない。感覚的な透明感を伝えることばとして(内緒話し皆聞こえさう)があるのである。繊細な感覚で詠み上げたこの句は、初期の淡々と日常を甘受してゆく句風に、もう一つの感覚の冴えが加わってきた。俳句を始めて五年ほど経た時期の収穫である。
 ところで、牧野さんが俳句を作ってみようと思ったのは、冒頭で述べた小林はるなさんからの誘いである。若い頃の牧野さんは、はるなさんの小さなお嬢さんたちのピアノの家庭教師をしていたことがあるのだ。
その小林はるさんが俳句に関わるきっかけは、角川春樹氏や金子兜太氏なのである。書店へあるいは自宅を訪れた両人から「奥さん俳句をしなさいよ」と一度ならず声をかけられていたという。
 私は、はるなさんが「俳句を始めたいから教えて」と電話をしてきたとき少し吃驚したものだ。俳句への縁も思いがけないところで繋がっていくものである。

  秋真昼蝶の横貌見たやうな
   

 東大寺大仏殿の盧舎那仏像の脇に銅製の蝶が留まっている。飛び立てば白鳥ほどの大きさになる。二枚の閉じた羽の上に見えるのはまさに蝶の横貌である。
 句集名になったこの一句にも横顔が現れる。顔と横顔はわずかな視覚のずれにもかかわらず陰陽の差となるから面白い。もちろん顔は陽で横顔は陰なのだが、人はなぜかその陰の横顔に惹かれるのである。蝶の横貌を見たような見なかったようなと反芻するときに、秋真昼が俄に不思議な時空となる。
 蝶の句ができた平成十九年あたりは、牧野さんがそれまでの教職を退くころ、あるいは退いたころであろう。俳句が俄に奥深くなった。

  蛤になれぬ雀やかたまりて
  急ぎ来て呼吸海月に合はせをり
  秋暑し麒麟の眉間探さねば


 一句目は、秋の季語(雀蛤となる)から想を得たもの。一群れの雀たちへ(蛤になれぬ雀や)と呼びかけているのである。そのことで、小さな雀と等身大になるのも、牧野さんの俳句への切り込み方である。視覚で捉えた雀の群れを想念に遊ばせ、蛤の貝殻模様と雀の羽の模様をふたたびオーバーラップさせて鮮やかになる。
 二句目、待ち合わせに遅れた焦りからだろうか、少し高ぶる呼吸を海面の海月の動きへ重ねている。まるで、自分の呼吸が勝手に海月に合わそうとしているような錯覚になる。そのことで、海月のひらひらと動き回る様子がより存在感を持つ。ここにも、対象物と等身大になっている牧野さんが現れる。
 三句目は不思議な句である。言われれば何にでも眉間というところがあるには違いなのだが、あえて動物の眉間などと考えたことがない。眉間と意識するとき、作者は麒麟の顔というより麒麟そのものを思いやっていたのである。見えているようで見えないものへ目を凝らしている作者が浮かび上がる。
 俳句とは、と問うとき誰もが思わぬ暗闇に紛れ込んでしまうのではないだろうか。それは詩とは、小説とは、と問う時にも同じである。だが、たった十七文字しかない俳句なら、少しは答らしきものに行き着けるのではないかと思えるのだが、やはり答えが見つからない。俳句にかかわり続けるということは、俳句とはと問い続けることなのだと観念するしかないのだ。

  きのふから人間ドック雪解川

 人間ドックなどあまり詠む人はいない。詠んでも大方は日常雑記にとどめてしまうのは、そんな素材で秀句は生まれないと決めているからである。それでは新しくならない。(きのうから人間ドック)と(雪解川)の二物衝撃によって噴き出た息吹のようなものがこの一句にはある。
まだ語りたい句はたくさんあるが、その一部を揚げて終わりにさせてもらう。

  近寄れば少し淋しい冬桜
  石垣に葦焼きの火の躓きぬ
  雪の午後読み継ぐ本を読み尽くし
  まんさくや隣の家の祝い事
  綿虫の貌は三角四角とも
  ひとところ水の湧き出る枯野かな
  冬蕨かごめかごめの輪の中に
  花は葉に東京の真中にゐる
  一羽きて二羽きて三羽木の芽風
  雁渡る砂漠の砂は瓶の中

            仏生会の日に        岩淵喜代子


帯の12句選

内緒話し皆聞こえさう月の道
セーターの色を重ねて出勤す
まんさくの花びら動く日曜日
秋真昼蝶の横貌見たやうな   
蛤になれぬ雀やかたまりて
急ぎ来て呼吸海月に合わせをり
秋暑し麒麟の眉間探さねば
雪の午後読み継ぐ本を読み尽くし
きのふから人間ドック雪解川
冬蕨かごめかごめの輪の中に
ひとところ水の湧き出る枯野かな
雁渡る砂漠の砂は瓶の中



        


by owl1023 | 2014-08-31 11:13 | 牧野洋子著書


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